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高谷史郎さん 3/4

3. 就職,そしてダムタイプへの復帰

interviewer京都芸大以外でもダムタイプのような活動は成立していたと思いますか。

高谷 ダムタイプは創設当初から古橋悌二さんや小山田徹さん(現京都市立芸術大学教授),穂積幸弘さんをはじめ,すごく面白い人が集まっていました。一夜延々とコンセプトについて話していることもしばしばで,大学の授業では得られないことも色々教えてもらえました。1回生の頃は映画を本当に多く観ましたが,映画を観てはその映画について延々と話をするわけですよ。それが舞台にも反映されていたと思います。

 それから,ローリー・アンダーソンやボブ・ウィルソン,ピナ・バウシュ等が来日した時代だったので,彼らのステージから大いなる影響を受けました。とにかく色んなものを見て,技術を京都芸大で学び,一人では出来ないことを集団で何か面白い新しいものを作ろうとしていました。

 でもアーティストが集団で制作に取り組むというのは難しくないのかとよく聞かれました。それぞれに自我の強いアーティストが集まって,まとまっていくなんてことがあり得るのかと疑問に思うのだと思います。随分前の話ですが,(1987年,4回生の時)デンマークのホテル・プロ・フォルマというパフォーマンスグループが,利賀フェスティバル(富山県南砺市利賀村で開催されている国際演劇祭)に参加することになり,24時間かけてシェイクスピアをやるんだけど,その内の1パート2時間をダムタイプにやって欲しいという話が舞い込みました。それで舞台装置にモノレールのようなものを作ろうという話になり,皆でレールを作り,台車は私がデザインしたものを彫刻専攻の人が溶接して塗装してくれました。そんな感じで皆が惜しみなく連携して自主的に参加できる感じが面白かった。このパートを実現させるために私はこれをやるという感じで,要所要所に人材がいて全部が上手く重なっていました。

 それからメンバー間で感覚がシンクロしていたことも重要なことでした。アイデアを出すと「それ,いいね」と次々に皆のイメージが繋がり,前へ進めたことが大きかったです。もし,すぐに誰かがネガティブな意見を出したりしていたら話も進みませんし,面白くないから夜通し話し合うということもなかったかもしれません。

 そう考えると,インターネットで情報が多様化してしまった今の時代は難しいですよね。多様化を重要視すると選択肢は無限にあるからトップのディレクターが決めていかないと決まらない。ダムタイプは,一応,システムはあって,その時々にリーダー的存在はいて最終的には決めていくのだけれど,ピラミッドなシステムでなくても成立していたんです。連鎖反応が激しくて,誰の意見かわからないぐらいに重なっていました。

 当時,ダムタイプ以外にも面白い人はたくさんいましたが,その人たちが集団になって皆で何かを創ろうという動きは少なかったように思います。あの時代の京都芸大で,あのメンバーだったからこそダムタイプは成立したのかもしれません。

interviewerその当時に壁にぶつかったことや悩みはありましたか。

高谷 楽しかっただけで何もなかったです(笑)。もちろん,メンバー間で意見が対立して,ぶつかることはありましたよ。たとえば舞台上で使うサーチライトの灯体の色のことで揉めたことがありました。皆が黒色だと言う中で,私は白色を推しました。舞台照明としては,灯体自体が見えにくいように黒を選ぶのはわかるけど,私はそれが舞台照明というよりオブジェという感覚だったので白を主張したんです。最終的に黒に決まって舞台に置いてみたら皆おかしいよねと言い出して,それで結局やっぱり白だということになって,私がスプレーさせられて・・・。「黒と言ったヤツが塗れ!」と思いましたけどね(笑)。そんなのは色々ありますが,葛藤と言えるほどのものはありませんでした。

interviewer将来のことを考える時間はありましたか。

高谷 全然なかったですし,どうなるかなんて考えていませんでした。全然考えていなかったから卒業してダムタイプの海外ツアーから帰ってきたときに,そこでどうしようと初めて考えました。このままダムタイプを続けることもできるけれど,もっと積極的にアイデアを出せるようなスキルを身に付けたいと思い,環境デザインを専攻していたこともあり,建築の図面が書けるようなスキルを身に付けようと考え,一度ダムタイプを離れて建築設計事務所に就職することにしました。半年ぐらい建築の仕事を続けましたが,これは自分がやりたいことと違うんじゃないかと感じ始めた時に古橋さんからダムタイプの新作制作に参加してほしいと話があって,自分がダムタイプに必要とされていることを感じて戻ることを決めました。

interviewerダムタイプの活動を続けることに対する戸惑いや躊躇することはありませんでしたか。

 それはありましたよ。海外ツアーから帰国して,一度ダムタイプを離れることを考え出した頃は大変で,どうやったら経済的に自立できるのだろうということが一番の問題でした。スキルを磨くということに思いが至ったのも,まずは自分が経済的に自立できた上でダムタイプに貢献できたらよいなと考えたからです。元々,自分はデザイナー的な仕事を志望して京都芸大に入ったけれど,ダムタイプは自分の中では望んでなれるものではないものと位置付けていた「アーティスト」なわけです。本当にそれでやっていけるのか悩みました。それで一旦,建築事務所にお世話になりましたが,これは違うと思った時に古橋さんから話があって,「あぁ,これはもうこっちしかないな」と吹っ切れました。就職する時は大いに迷ったし,大変ですよね。みんなよく決めれるよね(笑)。

インタビュアー:渡辺佳奈(日本画専攻4回生*)*取材当時の学年

(取材日:2016年10月19日・DUMB TYPE OFFICEにて)

Profile:高谷 史郎【Shiro TAKATANI】アーティスト

1963年生まれ。京都市立芸術大学美術学部環境デザイン専攻卒業。京都芸大在学中の1984年より,アーティストグループ「ダムタイプ」の活動に参加。様々なメディアを用いたパフォーマンスやインスタレーション作品の制作に携わり,世界各地の劇場や美術館,アートセンター等で公演/展示を行う。1998年から「ダムタイプ」の活動と並行して個人の制作活動を開始。舞台作品《明るい部屋》(2008年初演,世界演劇祭/ドイツ),《CHROMA》(2012年初演,滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール),《ST/LL》(2015年初演,ル・ヴォルカン国立舞台/フランス)を製作。ナポリ演劇フェスティバル(イタリア),東京・新国立劇場での公演や,山口情報芸術センター[YCAM],シャルジャ・ビエンナーレ(アラブ首長国連邦),カルティエ財団現代美術館(パリ)などで作品を展示。また,坂本龍一や野村萬斎らとのコラボレーションも多数。2013年,東京都写真美術館で個展。平成26年度 芸術選奨メディア芸術部門 文部科学大臣賞受賞。

2015年から2016年にかけて京都市立芸術大学芸術資源研究センターが取り組んだ古橋悌二氏によるメディアアート作品「LOVERS」の修復作業に参加した。