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高谷史郎さん 2/4

2. ダムタイプへの参加

interviewer環境デザインに進もうと思われたのはどうしてですか。

高谷 高校を卒業する頃からバウハウス(※)がとても好きになったんです。最初は,シンプルなデザインが単純に格好良いと思っただけだったんですが,次第にその運動や思想に興味を持つようになりました。デザインの中には,我を主張するデザインもありますが,バウハウスの考え方はデザイナー個人の個性の表現というより科学に近い。こうした方が住みやすいんじゃないか,暖かいんじゃないかとか,用途に合わせて合理的な考え方を使いやすい形に落とし込んでいくわけです。その辺りがデザインを人間との間で辻褄を合わせていく作業に見えて面白いと考えるようになり,自分はそういうものが好きなのかもしれないと思いました。

 その一方で,ガウディも好きでした。アーティスティックな個性あふれる建物のように見えるので,バウハウスとは対極のように見えますが,建物の形状を考えるときに糸を吊るしたラインを逆さまに取り込んだりしていて,自然現象(物理)から構造的なものを取り出している,科学的でとても思慮深い,そういう部分が好きでした。

 当時の私には,アートよりもデザインの方が格好良く思えたんですね。私の中でアーティストというのは,ある意味突き抜けてしまっていて,そのことしかできないというイメージがあったんです。それはそれで格好良いけれど,単に憧れや努力でなれるものではないと考えていました。その点,デザインはもっと職業と密着しているところもあるし,実際にその当時は,アーティスティックな企業CM等が多かった時代でしたから,アートという技法を使って世の中に影響を与える職業として捉えていました。例えば車であれば,1台デザインすればそれが何万台も生産され,多くの人に自分の作ったものが届けられるわけです。そういうものに興味があったし,クライアントとの間で諸々を調整していくという仕事に関心があったのかもしれません。

(※)バウハウス…1919年にドイツ・ワイマールに設立された,工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育機関。また,その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。

interviewer大学時代の4年間の学生生活はどのように過ごされていましたか。

高谷 1回生の夏休み前にダムタイプの前身の演劇サークルに入り,チラシやセットのデザインを担当するチームに所属したんですが,大学の授業よりも面白いから,ほとんどサークル活動に没頭していたような気がします。

 通常のプロダクトであれば何か形を考えた際,入手可能な素材で模型を作り照明を当てれば「見え方」を確認できますが,建築の場合は大き過ぎて全容を掴みきれません。例えば10メートルの直径の円を空間に置いて,この辺りから照明が当たったらどうなるかは想像できるけれど,やってみないとわからないですよね。その点で劇場はそうした実験ができる場所と捉え,実際に様々なデザイン的実験が出来るんじゃないかと考えたわけです。メンバーにも魅力的な人が多くて,その人たちと関わりたいと思ったのも理由の一つです。

interviewer当時の活動を通して印象に残っていることはありますか。

高谷 いろいろありますが,とりわけ印象に残っているのはダムタイプの初めての海外ツアーの体験です。大学を卒業した年にアメリカとヨーロッパをツアーしたのですが,色々な人と出会えたし,日本の劇場を取り巻く環境から離れ,海外の状況を知ることが出来てよかったと思っています。当時(在学中),公演させてもらった日本のいくつかの劇場はヒエラルキーがはっきりしていて,私たちのような若いアーティストグループが劇場ではこれまでやったことがなかったようなことに挑戦するのは非常に難しく,新しいことはほとんどできませんでした。私は劇場を実験場として捉えていましたが,劇場の管理側の人たちは技術的に簡単に出来ることでも前例が無いと対応してくれないことがしばしばありました。でも,海外に行ってみて考え方を切り替えられたし,そんなことよりも,もっと作品に対する考え方を詰めて形にすることが大切だと思いました。

 サークルに入部した当時,公演は主に大学構内で上演していました。とはいえ講堂での公演は1回だけで,野外の使われていない一角にステージを組んで公演したりしていました。デザインも担当していましたが,興味があって照明もしていました。

interviewerダムタイプの活動のウエイトは大きかったのでしょうか。

高谷 学生でしたし,今から思えばそれ程忙しくなかったように思いますが,メンバーの下宿の部屋で毎晩朝までミーティングをしたりして,多くの時間を過ごしたと思います。

 当時は大学にある施設や機材を使い,映像やスライド,ポスター等を作っていました。コンピューターが導入される前のことです。編集機についても我々の持っていた民生機より機能の優れたものがあって,大学には技術的な意味で当時としては最高のクオリティを備えたアートが出来る環境がありました。今,ビデオカメラを買って何かを始めようと思っても,最高機種のカメラなんて買えないと思います。だから多少水準を落としたカメラで撮影するわけですが,その撮影素材の質は最高水準ではないわけです。アートってコンセプチュアルな部分で勝負する部分もありますが,質で勝負しないといけない部分もあり,その水準というのは大切なものです。でも,メディアアートの分野でこれはなかなか難しいですよね。以前に「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」で使った4KのLEDパネルは現時点での最高のクオリティの機材ですが,非常に高価なもので,それをまたどこかで使いたいと思っても,その予算を確保できなければ出来ません。加えて,スポンサーも減少していますから,資金が潤沢な商業的なところと結びついたようなものしか出来なくなってきています。アーティストがやりたいことをやりたいように出来るシステムを作らないといけないと思います。それもあって京都芸大には,若いアーティストが最先端の技術や最高のものを使える環境を提供してあげて欲しい。私が学生のときに感じていたような,シルクスクリーンの写真製版機を使って綺麗だなって思えたような技術をね。そういうことがアーティストを生み出すと思うんです。でも,現在,メディアアートは機器が次々と更新され新しい機材が出てくるたびにどんどん前の機材は廃れていくから大変です。

インタビュアー:渡辺佳奈(日本画専攻4回生*)*取材当時の学年

(取材日:2016年10月19日・DUMB TYPE OFFICEにて)

Profile:高谷 史郎【Shiro TAKATANI】アーティスト

1963年生まれ。京都市立芸術大学美術学部環境デザイン専攻卒業。京都芸大在学中の1984年より,アーティストグループ「ダムタイプ」の活動に参加。様々なメディアを用いたパフォーマンスやインスタレーション作品の制作に携わり,世界各地の劇場や美術館,アートセンター等で公演/展示を行う。1998年から「ダムタイプ」の活動と並行して個人の制作活動を開始。舞台作品《明るい部屋》(2008年初演,世界演劇祭/ドイツ),《CHROMA》(2012年初演,滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール),《ST/LL》(2015年初演,ル・ヴォルカン国立舞台/フランス)を製作。ナポリ演劇フェスティバル(イタリア),東京・新国立劇場での公演や,山口情報芸術センター[YCAM],シャルジャ・ビエンナーレ(アラブ首長国連邦),カルティエ財団現代美術館(パリ)などで作品を展示。また,坂本龍一や野村萬斎らとのコラボレーションも多数。2013年,東京都写真美術館で個展。平成26年度 芸術選奨メディア芸術部門 文部科学大臣賞受賞。

2015年から2016年にかけて京都市立芸術大学芸術資源研究センターが取り組んだ古橋悌二氏によるメディアアート作品「LOVERS」の修復作業に参加した。