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八木光惠さん 2/4

2. 大学時代の思い出


学内の染織アトリエにて

interviewerもともと何かを作ることはお好きだったんですか。

八木 昔から何かを作る仕事がしたいと考えていました。建築に関心があった時期もありましたが,基本的に性格が大雑把なものですから,他人を巻き込んでしまうと色々と迷惑をかける可能性もあると考え,自分で全てに責任を持てる自己完結型の美術の道を選びました。

interviewer大雑把な性格と仰いますが,進まれた染織は根気や繊細さが求められる面もあります。大丈夫だったんですか。

八木 大丈夫ではなかったから今の仕事をしているんですよ(笑)。

 学生時代は織をやっていました。4回生の時には織機を買って,家でも織っていました。織は物を組み合わせていけば形になっていきますし,何か新しいことをしようと思い材料に荒縄を使ってみたり色々なことを試しました。一方で染に関しては,根気が足りないせいか,ものにすることは出来ませんでした。今思い出しても染める作業は大変でした。それでも2回生の時の作品展には1m×幅4mサイズの染の作品を2点出しました。私は細かなことは出来ないから大きなものになったんです。でも,かなりのスペースを占めたため皆に嫌がられてしまい,その結果天井に近いところに展示された記憶があります(笑)。そういえば3回生の時に出展した織の作品もそれに懲りずに大きかったですね・・・。制作する作品もそうですが,大学に入る前から枠にはまるということをあまり意識したことがなかったんです。それと当時の私は,周囲のことを少し批評的な目線で眺めていたようなところがあったと思います。ある意味で時の勢いのようなものに任せて染織専攻に進んだものの,入学後も染織のことを自分なりにきちんと理解できたわけではなく手探り状態でした。先生方はどうしてこんな考え方をするのだろうとか,学生たちの制作はもっと自由でいいんじゃないかといったようなことを考えながら学生生活を過ごしていました。

interviewer大学生活で制作活動以外のことも含めて印象に残っていることはありますか。

八木 染織の工房スペースは校舎の本館にあり,そのすぐ隣は学長室でした。3回生の頃,私たちが夜まで作業していると,ときどき先輩方からラーメンの出前注文のお誘いがあるので返答しようと部屋の扉を開けると,当時の学長の梅原猛先生が顔を出してニコっとされるんです。梅原先生にもお声掛けすると「僕は帰りますから大丈夫です」と仰って帰路につかれたんですが,学長先生も含めて先生方との距離が物理的にも本当に近い大学でした。

interviewer大学卒業後の進路については,どうされようと考えていらしたんですか。

八木 周囲から少しはみ出しながらも自分なりに頑張った学生生活でしたが,京都芸大での生活は学部の4年で区切りをつけようと考えていました。

 選択肢の一つとして留学を考え,織の高木敏先生から紹介いただいたスウェーデンの王立美術大学を4回生になる直前の春休みに訪問してみました。現地の大学の先生に英語が出来ないが大丈夫かと尋ねたところ,授業はスウェーデン語だから英語が出来なくても大丈夫とのことでしたが結局留学しませんでした。私が出掛けた時期が悪かったんでしょうね。3月初旬のスウェーデンはとても寒くて,朝8時になっても外は薄暗く,その環境に馴染めなかったんです。夏休みに行っていたら留学していたかもしれません(笑)。

インタビュアー:
山田毅(大学院美術研究科修士課程 彫刻専攻2回生*)
平田万葉(大学院美術研究科修士課程 工芸専攻(陶磁器)2回生*)
*取材当時の学年

(取材日:2016年12月2日・アートコートギャラリーにて)

Profile:八木 光惠【Mitsue YAGI】アートコートギャラリー代表

大阪市生まれ。京都市立芸術大学工芸科染織専攻卒業。アートコートギャラリー代表として活躍する他,「美術館にアートを贈る会(※)」理事などを務める。

(※)美術館にアートを贈る会…2004年に八木氏等が発起人となり設立。メンバーが選定した美術作品を所蔵者として相応しい美術館を見つけ,受入れを交渉し,協力者を募って皆で寄贈する取組を展開。2017年4月時点で5つ目のプロジェクトを実施中。