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中尾香那さん

1. 修行僧のような大学時代

interviewer幼い頃はどのような子どもでしたか?

中尾 子どもの頃からとにかく絵を描くのが好きで,3歳くらいから絵画教室に通っていました。高校を受験する時には,美術科のある高校にしようかとも悩みましたが,結局周りのみんなと同じように普通科に進学しました。いわゆる超文系少女で,国語と英語と美術は得意でしたが,数学は落第しそうなぐらい成績がひどくて。今の京都芸大のデザイン科の入試では数学は必須になっていますが,当時は必須ではなかったので,助かりました(笑)。

海外の文化にとても興味があったので,高校2年生の時に,海外の大学への進学も視野に入れてイギリスに短期留学したのですが,海外に行ったことでもっと日本の文化を知りたいと強く思うようになりました。それなら歴史と伝統のある京都しかないと思い,京都芸大を受験しようと決めました。

interviewer大学に入る前に目指していた将来のイメージはありましたか?

中尾 当時は,将来の夢とか憧れというのはあまりなくて,美術がやりたいから芸術系大学に進学しよう。というだけの気持ちでした。ただ高校時代に,文化祭の出し物について,みんなでアイデアを出しながら議論を深めて実行したり,卒業文集の表紙を描いて,みんなに原稿を書いてもらったりと,みんなと協力して,何かすることが楽しかったんです。デザイン系に進めばそれが仕事にできるのかなという理由で,デザイン科を選びました。大学に入る前には就職先のイメージも特に持っていなかったですね。3回生になってやっと考え出した感じです。

interviewer京芸入学後はどのような学生生活を過ごされましたか?

中尾 当時のデザイン科はとても課題が多く,週にひとつ課題が出され,1週間後に提出というようなループがずっと繰り返されるような感じでした。学科以外にも授業で出される課題などもあり,私は与えられた課題には結構真面目に取り組むほうだったので,常に終われるように忙しかった記憶があります。同級生の中には,ちょっと他のことをしてその週に完成しないと,また次の週に課題が出され,という形で雪だるま式に宿題が増えていっている人もいましたが(笑)。沓掛校舎は,近くに遊びに行くところもあまりなかったので,基本は山籠もり中の修行僧のように課題に取り組んでいるという感じでした。時々,担当教員に酷評されて落ち込んだ時などには,お気に入りのお寺の仏像に相談しに行ったりもしていました。

デザイン科の授業以外でも,単位互換制度で座禅の授業を受講したり,展覧会を観に行ったり,インターンシップに参加したり,ロゴを依頼されてデザインしたり,大学のある大枝地区の風景を残すためのアートプロジェクトに誘われて参加したりと,「こんな話があるよ」と聞くと何もせずにいられず,だいたいチャレンジしていたこともあって,大学の4年間はあっという間でした。すごく積極的なように聞こえるかもしれないですが,来る話にだいたいチャレンジしていた理由は,好奇心が半分,あとの半分はこのままじゃダメだ。なんかしなくちゃ。という感じの焦りだったような気がします。

インタビュアー:宇野冴香(美術学部ビジュアル・デザイン専攻4回生*)*取材当時の学年
(取材日:2019年11月18日・株式会社電通関西支社にて)

Profile:中尾 香那【NAKAO Kana】(株)電通関西支社アートディレクター

1986年名古屋市生まれ。2009年京都市立芸術大学美術学部ビジュアル・デザイン専攻卒業。同年株式会社電通入社。グラフィックを中心に,パッケージ,キャラクターデザイン,CMプランニングまで,幅広い広告の企画制作に携わる。現在,京都ビジネスアクセラレーションセンター文化事業推進部アートディレクター。