林田明子さん 2/4
2.ウィーン音大留学
ウィーン音大留学
留学したいという思いは元々あったのでしょうか
林田 「インターナショナルじゃないといけない、行ける人は、一回は行きなさい」と言われていたんですが、京都で生まれて京都で育って東京に出るのも怖い人間だったので、実際チャンスがあっても絶対一人で外国なんていけないと最初は思っていました。それでも、こつこつ語学は勉強していたので、いつか行けたらいいなぁと漠然と思うようになりました。京芸の大学院1回生の時に、大学の交換留学制度で、ブレーメン芸術大学(ドイツ)に行き、4か月という短い期間でしたけど、留学体験することができたんです。自分で手続きなど全部やらないといけなくて大変でしたが、その経験があったおかげで、なんとか長期の留学もできるかなと思えるようになりました。
ウィーン音大に留学されたきっかけは
林田 大学院3回生の時に受けた日本シューベルト協会主催のコンクールで、審査員にウィーン国立音楽大学の先生がいらっしゃったんです。レセプションでその先生と直接お話しができて、「留学をしたいと思っていて先生を探しているんです。」というお話をしたら、「君だったらウェルカムです。ただ、いくらOKと言っても試験は受からないとダメだよ。」と言っていただいたんです。それで、卒業したら留学しようというのが方向性として決まりました。
音楽の留学というのは、学校よりも先生探しが鍵ですよね。私は運よくコンタクトが取れたので、留学先が見つかりました。
2004年チロルのエルル音楽祭にて、
ヴァーグナー『ラインの黄金』の舞台より
(中央が林田さん)
ウィーンではどのような生活をされていましたか
林田 リート・オラトリオ科(リートとはドイツ語で歌曲、オラトリオとはイタリア語で聖譚曲)に入ったのですが、私が入ったリートクラスの先生はものすごく熱心で、すごくたくさんの曲を次から次へと与えられて、門下生の学内発表会をほぼ毎月開催してくれる先生でした。舞台で勉強する機会も多かったし、なにしろ次から次へと曲を与えられたので忙しかったですね。3年目にはオペラ科にも入学して、両方受講していたのでますます忙しかったです。演奏会やオペラ座に鑑賞に行ったり、チェコの劇場で客演の仕事も加わりました。外国でのコンクールや講習会を受けたり、移動も多く忙しかったですね。
ウィーン音大に最初リートで入られて、その後オペラも勉強されて、ジャンルの違いについてはどう考えていらっしゃいますか
林田 私はオペラがあまり好きではないんです。自分がやるようになってから、面白くなってはきましたが。だから、最初はオペラ科に入るつもりもありませんでした。でも、リートは、1つの演奏会の中で短い寸劇を全部演じ分けて表現しなきゃいけないという意味ではものすごくエッセンスが凝縮されています。それを、より深く的確に表現するためにはオペラもできないといけないと思いました。それに歌手としてやっていくにはオペラが歌えませんというのはダメだと思ったんです。苦手だからこそ勉強しようと思い、オペラ科を受験しました。私が入ったクラスの先生は、新しく赴任されたスイス人のものすごくいい演出家で、歌詞の単語一つ一つに演出を付けていく方でした。ここの言葉でこういうアイデアが浮かんで、だからそれに反応してこう動くというような細かい演出をしてくださったので、すごく自然に動けました。オペラも歌詞が与えられていて情景とか人物の背景とか、どういう状況で出てくるかとか考えながら作っていくんです。リートもそうですよね、この人は何を考えてこの詩を詠んでいて、この詩によって何を表現したいのかをよく考えないといけないので、音楽の形式は違うけれど、作品へのアプローチの仕方は基本的に一緒なんです。
インタビュアー:音楽学部声楽専攻4回生 井本千尋
(取材日:2012年2月13日)
Profile:林田明子【はやしだ・あきこ】声楽家
京都市立芸術大学大学院音楽研究科修了。ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科、並びにオペラ科卒業。
日本、欧州各地でのリサイタルを活動の中心に置く傍ら、音楽祭などでのオペラ公演、国内外のオーケストラなどにも多く出演している。その発音の明瞭さ、歌詞の内容に沿ったきめ細やかで多彩な表現力には定評がある。