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酒井健治さん 2/4

2.松本日之春先生との出会い

学部時代

interviewer_music学部時代はどのような曲を書いていらっしゃいましたか。

酒井 音楽史を古いものから新しいものへ辿っていくように、僕の作曲のスタイルもいろいろと変わっていきました。最初はメシアンとバルトークを混ぜたような感じのスタイルで、3回生の前期に書いた曲以降は、完全な無調に入っていきました。三善晃先生のピアノ曲を勉強しながら、ピアノソロの変奏曲を書いてみたり。そして4回生で松本日之春先生と出会い、フランスの音楽とか現代の技法を学んでからスタイルがまた変わって、一種の電子音楽のアイディアから借用したようなもの、つまり、いくつかシーケンスがあって、このシーケンスはこのテンポで、別のシーケンスにはまた別のテンポで、それを同時に弾く、みたいなことをやっていました。

interviewer_music作曲家としての手応えのような「これでやっていける」と思われたことは在学中からありましたか。

酒井 僕はわりとプラス思考で、物事を良い方に考えがちなので、「なんとかなるだろう」って思っていましたけど、根拠は何もないんですよ。留学したのも、一生を変える重大な決意という感じではなくて「今これがやりたいからこれをやる」ということを続けていったら、結果としてフランス留学に繋がったというのが実感です。

interviewer_musicでは、音楽をやっていくうえでの葛藤とか、挫折感を味わったことは。

酒井 ないです。何の根拠もないけれども、ずっとポジティブな人間だから。「なんとかなる」としか思っていませんでした。

interviewer_music学生時代の成績はどうだったのですか。

酒井 点数でいえば、1回生の頃はあんまり良くなかったです。2回生、3回生、4回生と学年が進んでいくにつれて、成績も上がっていったという感じです。入学当初、僕自身はあまり自覚が無かったのですが、前田先生に言わせたら凄く悩んでいたっておっしゃるんです。京都芸大に入るまでの私大の先生の教えと、入学後の前田先生の教えが、全くカラーが違うので、戸惑うところがあったみたいです。

interviewer_music音楽以外の学科の勉強も楽しんでされていた感じですか。

酒井 でも、苦手な学科はありましたよ。単位のために嫌々受けていた学科もありました。今からして思えば、もったいない時間を過ごしたなって思います。その当時はそんな事も分からない生意気な学生でした。

interviewer_musicこうしてお話しを聞かせていただいていると、生意気な学生だったというのが想像できないんですけど。

酒井 当時は自分に自信があって、小生意気な感じだったんです。

interviewer_music「俺はビッグになるぞ」みたいな(笑)。

酒井 そういうのもあったんでしょうね(笑)。

interviewer_music実現しているから凄いですよ。京都芸大を卒業して12年でこれだけ大きな存在になられて、心から尊敬します。

酒井 いえ、全然まだまだ。自分の好きなことをやっているだけですから。僕と同年代で世界で活躍している卒業生は他にもいますからね。自分でこういう仕事がしたいと思ったら、そのとおりに動いて、自分がやりたいことをやった結果が今だから。

interviewer_musicそう考えると、京都芸大はすごい学校ですよね。

酒井 作曲専攻出身だと、他に山根明季子さんとかもね。何故でしょうかね。自由な校風の学校なのに。自由だからこそ自分で考えて行動して個性的な作品を作るとか、そういうものがあるのかも知れないですね。

フランス留学を意識した4回生

interviewer_music在学中からフランスへ留学しようと考えておられたのですか。

酒井 そうですね。在学中と言っても4回生ぐらいの頃からだと思います。京都芸大に入ってから、フランスの和声を勉強して、4回生の後期に松本日之春先生が来られて…松本先生の授業は衝撃でしたね。半年しか習わなかったんですけど、もの凄く強く印象に残っていて、松本先生のおっしゃることが一字一句頭に残る感じで、砂に水を撒いて、そのまますぐに吸収していくような感覚でした。松本先生のフランスでの様々な武勇伝があったりして、それを聞くのも面白かったです。フランスの音楽事情を色々伺って、それで卒業したらフランスに行きたいと思ったんです。

interviewer_music留学に向けて、どのような準備をされましたか?

酒井 留学までの準備期間は、フランス語のプライベートレッスンを受けたり、実際にフランスに行ったりもしました。あと、語学ももちろん大切ですが、フランス留学のシステムを把握するのが大変でした。どうしたらビザを取得できるのかとか、そういう実務的なことも含め、当時はインターネットが今ほど普及していなかったから、いちいち電話したり、郵送で資料を取り寄せたりして、情報収集にはとても時間がかかりました。結局、準備が整い、フランスの音楽院に入ったのは24歳のときでしたね。

インタビュアー:音楽学部 作曲専攻2回生 稲谷祐亮

(取材日:2012年7月5日)

Profile:酒井健治【さかい・けんじ】作曲家

1977年大阪生まれ。2000年京都市立芸術大学音楽学部作曲専攻卒業。2002年より拠点をパリに移し、フランス国立パリ高等音楽院にて作曲、電子音楽、楽曲分析を学ぶ。2007年より2009年までIRCAM(イルカム=フランス国立音響音楽研究所)にて研究員を務める。

ジョルジュエネスコ国際コンクール作曲部門グランプリ(2007)、武満徹作曲賞第一位(2009)、ルツェルン・アートメンターファンデーション賞(2010)などを受賞。2012年5月、エリザベート王妃国際コンクール作曲部門グランプリを獲得。受賞作「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲」は、ヴァイオリン部門ファイナリストの課題曲としても演奏された。国内においても2012年7月、文化庁長官表彰を受彰。

現在、フランス学士院芸術アカデミーの会員に選出され、2013年までスペインのマドリッド(カサ・デ・ヴェラスケス)にレジデント・コンポーザー※として滞在している。

http://kenjisakai.net/

※オーケストラなどが作曲家を招待し、活動や運営方針に対する意見を聞き、その作曲家に作品を委嘱するという制度のこと。