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菅英三子さん 2/4

2.ウイーンへの留学


関西新人演奏会(1978)

interviewer_music卒業後,どのような経緯でウィーンへ留学されたのでしょうか。

 私がいた頃は,京都芸大には大学院はなかったので,卒業後,地元に帰って,4,5年は,音楽教室で働きながら,レッスンに通う生活をしていました。時々,演奏会で歌わせて頂き,それで満足していました。

 ある時,佐々木先生に,「あなたは西洋の音楽を勉強しているんだから,一回行って来たら。」と勧められて,27歳の夏に,初めてヨーロッパに行きました。ウィーンとザルツブルグに講習会に行って,すごく楽しかったです。その後,音楽教室でお金を貯めて次の年にもう一度行こうと思い,4~6月はドイツ語の講習,7,8月に歌のレッスンを受けて帰ってくるという半年間の留学計画を立てていました。

 4月から始まる講習会に申し込んでいたのですが,出発する前日に父が亡くなり,急遽,キャンセルすることになりました。しかし,6月くらいに家の中が落ち着いてきて,母が「せっかくだから歌だけでも行って来たら。」と言ってくれて,夏の講習会にだけ行きました。そうしたら,1年前にウィーンで受けた講習会の先生が覚えて下さっていて,ウイーン国立音楽大学の受験を勧めていただきました。国際電話で,母に相談したところ,「あなたがやりたいんだったらやりなさい」と背中を押してくれました。急に受験することになったので,滞在する場所や語学,レッスンの講師,伴奏者など,何も準備していなかったのですが,たくさんの方が支援をして下さり,ウィーン国立音楽大学の入学試験に合格しました。しかし,日本では,音楽教室の生徒が待っていたので,入学手続きと同時に休学手続をして,日本に戻り,日本の仕事をして半年後から本格的に留学しました。

 今は,昔より留学しやすくなったけど,留学が大変だった時の方が覚悟を持って留学したと思うんですよね。私は,留学中の限られた時間の中で,自分の中に成果を蓄えて,納得して日本に帰りたいと,覚悟を持って毎日を過ごしていました。今の若い人の中には,とても楽しんではいるけど,もったいない時間を過ごしている人が多い気がします。もっと,日本でやってくる事があったんじゃないか,音楽と向き合う姿勢が足りないんじゃないかと,耳元で言いたくなります。(笑)

interviewer_music私もがんばらないといけないと思います。ウィーンでの生活はいかがでしたか。

 ウィーンでは,欲張って,リート科とオペラ科に在籍し授業を受けていました。2年目の時に,レッスンの先生の知り合いの演出家が,プラハでオペラ劇場の新しい支配人になり,その方が演出するオペラのキャストオーディションを受け,役を頂く事になりました。

 月曜日から金曜日までは,プラハの劇場で練習があり,プラハとウィーンは電車で3時間半かかりますので,大学の授業に出ることが難しい状況になりました。それで,先生方と相談して,劇場の練習がない時に,学科の試験をして頂いて,必要な単位を半年で取得し,卒業試験を受け,何とか卒業することができました。多分その時が一番勉強したと思います。

interviewer_music卒業と同時に,ヨーロッパでお仕事をスタートされたのですね。

 日本にいる時は,まさかヨーロッパでオペラの仕事をするとは思ってもいませんでした。教会で育ちましたので,音楽は宗教歌か歌曲で,オペラは好きだったのですが自分が演じるイメージはありませんでした。私は,どちらかというと不器用で硬くて,まっすぐ立って歌う方でした。それでも,勉強を続けて,学校の公演などに出させてもらっているうちに,仕事として始まりました。そうやって,仕事というか勉強させて頂いている中で,次の仕事をいただくようになり,ヨーロッパでは,6年くらい活動しました。

インタビュアー:磯村真綸(音楽学部 声楽専攻2回生*取材当時の学年)

(取材日:2014年12月15日・京都芸大音楽棟にて)

Profile:菅 英三子【すが・えみこ】声楽家

京都市立芸術大学卒業。ウィーン国立音楽大学をディプロムを取得して首席で卒業。

オーストリア共和国学術褒賞,ザルツブルグ市音楽奨励賞,出光音楽賞,青山音楽賞,新日鉄音楽賞,宮城県芸術選奨,文化庁芸術祭賞新人賞等を受賞。

ヨーロッパ・アメリカ・日本の各地において演奏活動を行っている。元京都市立芸術大学音楽学部准教授。東京藝術大学音楽学部教授。