閉じる

共通メニューなどをスキップして本文へ

ENGLISH

メニューを開く

谷正人さん

1. 民族音楽との出会い

interviewer_music幼い頃から民族音楽に興味があったのですか。

 幼い頃からピアノを習っていました。その頃から,何か少し違うタイプの音楽をしてみたいなという思いは持っていましたが,実際に「民族音楽」に興味を持ったのは中学生以降です。意外に思われるかも知れませんが,直接的なきっかけはヘヴィメタルなんですよ。私が中学生の頃の1980年代というのは,日本でもヘヴィメタル黄金時代でしたので,私もよく聞いていたのですが,その中でエジプトの音楽を取り入れているものがあったりしたんですよ。そこから興味が広がっていったという感じですね。高校卒業後,様々な音楽や楽器を体験するため,大阪音楽大学に進学しました。

interviewer_music大阪音大ではどのような楽器を体験されましたか。

 大学に進学して様々な楽器に触れる中で,授業で演奏されていたイランのサントゥール(※)にとても興味を持ちました。当時(1991年頃)は湾岸戦争の直後で,中東に行く学生はほとんどいませんでした。それに,イラン音楽について研究している人はとても少なくて,図書館に行っても日本語で書かれているものは,研究論文以外ほとんど見つかりませんでした。なので自分にとっては何の先入観もなく,まずイランに行ってとりあえず衣食住など色々なことを見てみようかなと思って,2回生の終わりに初めて行きました。

※サントゥール:木製の台形のボディに多数の金属製の弦を張り,軽量なバチで叩いて演奏する楽器。

interviewer_musicイランに行くにあたって,語学はどうされましたか。

 語学はゼロの状態でしたね。当時は英語もあまり話せませんでしたし,ましてやイランの公用語はペルシア語ですから,全く言葉が分からない状況でした。ホームステイ先だけ知り合いに紹介してもらって,辞書をひきながら片言のペルシア語と身振り手振りでコミュニケーションをとっていました。そういう状況で,まずは1箇月滞在しました。サントゥールのレッスンを含めて日本ではできないことをたくさん経験できたので,収穫は大きかったですね。そこからは,アルバイトをしてお金が貯まればイランに行くという生活で,長期休みごとに数ヶ月,年に2回は行っていましたね。

interviewer_music大学卒業後,京都芸大大学院に入学されるまで,どのような活動をされていましたか。

 当時の大阪音大には民族音楽学の教員はいませんでしたから,自分には実技を支える学術的バックグラウンドがありませんでした。その上,その当時「民族音楽」の世界は,ともすれば「マニアック」なものという印象を持たれがちでした。ですから,このまま個人的に実技だけをやっているようだと,単なる「好事家」になってしまうという危機感がありました。そこで,現地で大学の卒業資格なり履歴書に書けるものを取ってこないとまずいと思い,最終的にイランの芸術大学音楽学部を卒業しました。

 帰国後,ただの「好事家」ではない自分をどのように確立するかということを考えたとき,研究者という視点が必要だと思いました。そこで,京都芸大の大学院に進学したのです。

interviewer_musicどうして京都芸大を選ばれたのですか。

 中川真先生(現非常勤講師,当時本学助教授)のお名前は以前からお聞きしており,それで京都芸大を受験しました。

 面接の時に衝撃を受けたのは,「京都芸大に入学してあなたは何をしたいですか。」という質問を受けた時のことです。当時イラン音楽はほとんど知られていませんでしたので,私は教科書的な答えのつもりで「研究する事によって,イラン音楽をもっと知ってもらえるようにしていきたいと思います。」と答えました。すると中川先生は「音楽学は,人に知ってもらうとか普及とか,そうしたことを目的としているわけではないよ。」と言われたんです。当時はよく意味が分からなかったのですが,いま思えば,このことがきっかけになって,音楽研究は学術活動であるという認識に変わっていったのではないかと思います。

インタビュアー:荒木真歩(音楽学専攻3回生*取材当時の学年)

(取材日:2014年11月25日・下京区役所会議室にて)

Profile:谷 正人【たに・まさと】大学教員

1971年大阪生まれ。2001年京都市立芸術大学大学院音楽研究科修士課程修了。2005年大阪大学大学院文学研究科(音楽学講座)博士後期課程修了。

専門は民族音楽学。主にイラン音楽を題材に,「オリジナリティ」「即興」といった概念について研究している。

1998年第1回イラン学生音楽コンクールサントゥール独奏部門奨励賞受賞。現在,神戸大学発達科学部人間表現学科准教授。