閉じる

共通メニューなどをスキップして本文へ

ENGLISH

メニューを開く

谷正人さん 2/4

2.民族音楽学の蓄積を知る


留学先のイラン国立芸術大の教室内にて,先生やクラスメートたちと(1996)

interviewer_musicゼミでの思い出をお聞かせください。

 中川先生は民族音楽学の著名な専門家ですが,イラン音楽のことはほとんど御存知ではなかったはずです。通常,指導教官は,自分が研究したい分野の専門家である方が望ましいと考えますよね。でもこれが結果的にはとても良かったと思っています。なぜかというと,先生はイラン音楽についてご存じありませんから,全部私が説明しないといけないんですね。説明して「なるほど,これってこういうことなんだね。」と返されるその説明が,例えば自分の理解とは違ったものだとします。そこでもう一度説明するんですが,それでもうまく通じないということを繰り返すと,どうも自分の説明が悪いんだと分かってくる。私が好事家のままなら「聴けばわかる」「経験すればわかる」なんて言い出したのかもしれませんが,研究者としてそれはご法度ですからね。つまり,中川先生は民族音楽学の学問的な枠組みに照らし合わせて私の説明を聞いているんですけど,私がその枠組みを理解していないので,基本概念や専門用語の使い方を間違っていたりするんですよ。要するに全部自分のせいなんです。今考えれば当たり前のことで,お恥ずかしい限りなのですが,先生とのやりとりは民族音楽学の蓄積を知る上で,とても良いトレーニングになりましたね。

 更にこうした一連のやり取りの中で最も有益だったのは,民族音楽学の蓄積の中で,自分がイランで学んできたことがどういう位置付けにあるかを確認することの重要さに気付かされたことですね。例えば,イラン音楽は即興演奏が特徴なんですが,即興と言っても0からのスタートではなくて,ある程度ルールがあってその中で無意識に何らかのものを準備しています。そういうルールについては実は民族音楽学の中でも研究の蓄積が既にあるわけですよ。それらを適宜参照しながらイラン音楽の話をするべきなのに,それができていない自分に気付かされました。

 あと,もう一つ中川先生に言われた忘れられない言葉があります。あるとき私が何か説明した際に,うまく伝わらないことが延々と続いて,少しいらついてしまったことがあったんですね。そうすると先生は「今,私と喋っていてイラッとしたでしょ。」と。さらに「君はイランで色んな勉強をしてきて,その分野での経験はあるのかもしれないけど,自分の考えを学問の場で使われている言葉でちゃんと説明できない限り,私は君のことを学者として認めないよ。」と言われたんです。留学から帰ってきた直後だけに「自分はこれだけやってきたぞ。」という自負心ばかりがすごく強くなっていたわけですが,それを打ち砕いてもらったおかげで,研究者の卵として意識を切り替えることができた――その意味でこの経験は大きかったですね。

interviewer_music学生時代,アルバイトなどはされていましたか。

 修士課程2回生になったとき,1回生の入学者がいなくてゼミが先生とマンツーマンになりました。マンツーマンになってからは特に大変で,ゼミは毎週あるので何か成果を持っていかないといけない,でも生活のこともあるのでアルバイトもしないといけない。本当に大変でしたね。当時はペルシア語の通訳のアルバイトをしていました。通訳なので時給がとても良かったんですよ。日本にいたら語学力が落ちていくという心配がありましたので,それを維持できるということと,研究のためにアルバイトは短時間にしたかったので,そういった意味ではとてもありがたかったですね。

interviewer_music修士課程ではどのような研究をされていましたか。

 即興演奏というテーマで研究を進めていました。ただ,部分的に文章を書いてはみるんですけどなかなか難しくて,中川先生からは,毎週見せては「だめ」,見せては「だめ」と突き返されることが続いていました。そこでヒントを得るために,中川先生が書かれたものも含めて多くの研究書や論文を,論理構造に気を付けながら読むようになったんです。それに中川先生の文体からはとても影響を受けましたね。文章がとても巧みで,専門分野について何も知らない読者を1ページ目で引き込むための技法が絶妙なんですよ。自分が経験してきたことをどういうふうに論文という形に置き換えるかのヒントを,中川先生の著作からは多く学びました。

 例えば「イラン音楽」とばかり言い過ぎたら,イラン音楽に興味がある人にしか読んでもらえませんよね。そうではなくて「イラン音楽の「即興」が面白いんですよ」と言えば,他ジャンルの「即興」に興味がある人や,あるいは音楽以外の,即興という現象そのものに興味がある人にも読んでもらえるかも知れない。大事なのは切り口ですよね。対象がマイナーだったとしても,ある切り口からテーマをちゃんと説明できたら,その切り口に興味を持っている人は実は沢山いるんです。それに気付く最初のきっかけを与えてくれたのが,中川先生ですね。

 中川先生の文章を学んでから,頭の中に浮かんでくる様々なトピックを,どの順序で伝えたら話がうまく伝わるか,全く予備知識のない人でも入ってくることのできる1ページ目の記述はどのようなものか,ということを意識的に考えるようになりました。そこから,修士論文が一気にまとまりだしましたね。先生からも「方向性としてはそれでいい。」と言ってもらえて嬉しかったですね。

 ただ,イランでの音楽学習の経験を,民族音楽学における先行研究の蓄積と照らし合わせるという作業については,やはりまだ不十分な点が残っていました。そこで,より研究を深めるために博士課程に進学したかったのですが,当時の京都芸大には博士課程がなかったこともあり,大阪大学に進学しました。

インタビュアー:荒木真歩(音楽学専攻3回生*取材当時の学年)

(取材日:2014年11月25日・下京区役所会議室にて)

Profile:谷 正人【たに・まさと】大学教員

1971年大阪生まれ。2001年京都市立芸術大学大学院音楽研究科修士課程修了。2005年大阪大学大学院文学研究科(音楽学講座)博士後期課程修了。

専門は民族音楽学。主にイラン音楽を題材に,「オリジナリティ」「即興」といった概念について研究している。

1998年第1回イラン学生音楽コンクールサントゥール独奏部門奨励賞受賞。現在,神戸大学発達科学部人間表現学科准教授。