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佐渡 裕さん 2/4

2.京芸入学,そして海外へ


interviewer_music京都芸大を選ばれる際の決め手は何だったんでしょうか。

佐渡 理由はいくつかありますが,大学に入る前までにお世話になっていた先生方が,京都芸大で指導されていたことが大きかったですね。京都市交響楽団のフルートの首席奏者だった伊藤公一先生は京都芸大でも指導されていて,私は小学校6年生から10年以上面倒を見ていただきました。そんな御縁もあってか,京響のフルートのメンバーには大変可愛がっていただきました。

 それから白石孝子先生にもお世話になりました。この方もフルートの先生で京都芸大でも長きにわたり指導をされていた方です。白石先生のことで思い出されるのは,先生がレッスンの合間の休憩時間に,合奏室からオーケストラが奏でるベートーヴェンの交響曲第8番がものすごく良いテンポで聴こえてきたので,誰が指揮をしているのかが気になり,部屋を覗いてみると,高校生時代の私が指揮者を務めていたそうです。白石先生は「あなた指揮者になりなさい!すごい才能があるわ」と仰ってくださったんですよ。結果として指揮専攻には進みませんでしたが,このように応援してくださった方もいらっしゃったわけです。


大学時代 指揮を始めたころ

interviewer_music大学入学後も指揮をされることもあったのでしょうか。

佐渡 大学にはフルートで入りましたが,あちこちで指揮をしました。指揮者として初めてギャラをもらった仕事は大学時代に引き受けたママさんコーラスでした。その当時はもう京都中のママさんコーラスの仕事を引き受けてやろうかぐらいの勢いでしたね(笑)。それ以外にも学内に貼ってあったチラシなどを頼りにして片っ端から色々な演奏の仕事をこなしましたし,学生オーケストラにも参加したりしました。

interviewer_music大学卒業後も音楽の道を歩むつもりでいらしたのですか。

佐渡 学生時代に今の姿は全く思い描けていませんでしたが,音楽で食べて行こうということは腹に決めていました。でも,まさか自分がこれ程の色々な経験を経て,ヨーロッパの歴史ある楽団の音楽監督に就くなんてことは想像もしていなかったというのが正直なところです。

interviewer_music今年の9月からトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任されますが,音楽監督のお仕事は初めての経験なのでしょうか。

佐渡 音楽監督というポジションに就くのは初めての経験です。しかも100年を超える歴史がある楽団の音楽監督です。これまでにパリのコンセール・ラムルー(ラムルー管弦楽団)の首席指揮者を17年間(1993年-2010年)務めたこともありますが,これは単に指揮者として貴方が一番えらいですよというそれだけの話であって,オーケストラを運営する上での責務といったようなものは何もなくて,単に自分が年間に与えられたプログラムとして何回か振って,オーケストラの相談に応じて曲目を考えたりということをしたぐらいでした。

 しかし,音楽監督となるとオーケストラ全てのプログラムから,オーケストラのメンバー配置,発売するCDの内容,スポンサーへの対応に至るまでのマネジメント的な役割を果たさなければなりません。即ちオーケストラがどんな顔を持ち,その町でどういった役目を果たすのかということを決めていく立場であるわけです。

 似たような仕事として兵庫県で劇場全体の芸術監督を務めてきましたから,その経験はとても大きくて,必ず生きてくると思っています。

 ただ,今回の仕事はドイツ語で会議をしなければいけません。そう思うとなかなか憂鬱ではあります(笑)。

インタビュアー:橋詰智博(指揮専攻3回生*取材当時)

(取材日:2015年9月17日・本学音楽研究棟にて)

Profile:佐渡 裕【さど・ゆたか】指揮者

1961年京都市生まれ。1984年京都市立芸術大学音楽学部管・打楽専修修了。

1987年アメリカのタングルウッド音楽祭に参加。その後、故レナード・バーンスタイン,小澤征爾らに師事する。1989年新進指揮者の登竜門として権威あるブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し,国際的な注目を集める。1995年,「第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール」で優勝し,「レナード・バーンスタイン桂冠指揮者」の称号を授与される。

現在パリ管弦楽団,ケルンWDR交響楽団,ベルリン・ドイツ交響楽団,BBCフィルハーモニックなどへの客演を毎年多数重ねており,2015年9月よりトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任。

国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督,シエナ・ウインド・オーケストラ首席指揮者を務める。