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山本 康寛さん

1. 北村先生との出会い

interviewer_music小さい頃から歌の道を志されていたのですか。

山本 子どもの頃は,童謡やテレビ番組で流れているアニメソングを聴いたり,姉と一緒に歌ったりという感じで,クラシックに特別関心があったというわけではありませんでした。

 大学で音楽を学ぶ道を進もうと思ったのは,中学時代に所属していた吹奏楽部内にトロンボーンの上手い友人がいたんです。その友人が芸大を目指すというので,それに感化されてという感じです。その当時は,私もトロンボーンを吹いていましたが,自分に才能をあまり感じていませんでした。それでどうしようかと考えた末に,歌に興味があったこともあり,高校2年生の5月に初めて声楽のレッスンを受けました。

interviewer_music芸大に行くと決めた時点で京都芸大を志望されたのでしょうか。

山本 私は愛知県出身なので,地元の芸大も候補として頭にはありました。その当時,地元で指導してくださっていた先生が,京都芸大の北村敏則准教授とたまたま面識があり,「京都芸大には良い先生がいるから」と薦められ,それならばということで京都芸大を選びました。ですから自分の進路選択を大きく左右したのは北村先生の存在だったという感じです。

G.M.G公演「サウンド・オブ・ミュージック」のワンシーン(2003)

interviewer_music最初からテノールを選ばれたのですか。

山本 テノールで入りました。下の方の声域が出なかったので上の音域を選びました。

interviewer_music大学入学後のエピソードで思い出されることはありますか。

山本 入学してすぐのことですが,周りの友人から音楽に関する質問等を矢継ぎ早に聞かれた時に,ものすごく戸惑ったことを覚えてます。高校まで音楽をしていたから話ができなくはないけれど,「あれ知ってる?」「この人誰なの?」「あの人知ってる?」「誰が好き?」と尋ねられても,パバロッティのことすら知らないぐらいでしたから,「え,わからない・・」っていう状態が半年ぐらい続いて,恥ずかしい思いをしました。その後,3大テノールの作品は集めてみましたけどね。授業以外にはG.M.Gに所属して,芸祭ではキャストとしてミュージカルのステージに立ったり,裏方を手伝ったりしましたし,学外の聖歌隊のバイトや合唱のエキストラもやりました。

interviewer_music大学時代に,ご自身にとっての転機になるようなことはありましたか。

山本 3回生の時のことですが,G.M.Gの打ち上げを終えた翌朝に,メンバーから頼まれたので歌ってみたら本当にひどかった。大学院への進学を考えていたので,これではまずい,何とかしなければと頭の中が一変して,そこからは必死でした。その時の下手な演奏のことは,他人から見れば本当に他愛もない出来事に思われるでしょうが,私にとってはまさしく一大転機で,もう焦りしかありませんでした。声楽は楽器のように何時間も練習できません。せいぜい3時間が限度ですから,練習時間はとても貴重です。

インタビュアー:廣津大介(音楽学部 声楽専攻3回生*取材当時)

(取材日:2015年12月10日・びわ湖ホールにて)

Profile:山本 康寛【やまもと・やすひろ】テノール歌手

1982年愛知県生まれ。京都市立芸術大学音楽学部声楽科卒業,同大学院修了。

第82回日本音楽コンクール第2位,第32回飯塚新人音楽コンクール第1位並びに文部科学大臣賞,第51回日伊声楽コンソルソ第2位並びに五十嵐喜芳賞,平成24年度平和堂財団芸術奨励賞,第24回青山音楽賞音楽賞,第26回五島記念文化賞など,数々受賞。2015年9月より五島記念文化財団の奨学生として渡伊。

オペラでは,2014年の沼尻オペラセレクションではコルンゴルド「死の都」(日本初演)主役のパウル役に抜擢,2015年7月マエストロゼッダ指揮,藤原歌劇団の「ランスへの旅」リーベンスコフ伯爵役などに出演。現在,びわ湖ホール声楽アンサンブルに6年間在籍したのち,ソロ登録メンバーとして,またびわ湖ホール4大テノールとしても活動している。