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粟辻 聡さん

1. 増井先生との出会い

interviewer_music幼少時代はどんなお子さんだったのでしょうか。

粟辻 両親ともに京都芸大出身で,父はフルート,母はピアノを専攻していました。父は,学校で音楽の先生を,母もピアノを続けていたので,家の中にはいつも音楽がありました。しかし私は,兄が母にピアノを習っている様子を見ていて性に合わないなと思っていたこともあり,敬遠していました。

 ですから,小学生の頃は野球に水泳,絵画教室など, 音楽とは関係のない習い事をしていたのですが,小学校4年生の時に京都市少年合唱団に入団することになりました。毎週土曜日が練習日だったんですが,兄が入っていて,その上,父が合唱団の指導を行っていたため,子どもが一人で家にいるのも心配なので,あなたも行きなさいってことになったんです。入団時は全然興味がわかず,正直なところ面倒くさいと思っていたんですが,中学校に入って音楽の面白さに目覚めました。それで中学では吹奏楽部に入って,クラリネットを始めました。父はそこでしめたと思ったんでしょうね。ここぞとばかりに音楽のビデオを持ってきて見せるわけですよ。初めてちゃんと聞いたのがチャイコフスキーの「悲愴」の第三楽章。今までクラシックって固くるしいと思っていましたが,それを聴いてなんてかっこいいのだろうと思いました。そこから指揮者に興味を持ち,クラリネットにもどんどんはまっていきました。

interviewer_music堀川音楽高校(以下「堀音」)では何を学んだんですか?

粟辻 堀音では,3年間クラリネット専攻でした。当時,学校が京都芸大に隣接していたので,高校2年の時からオーケストラの授業を見学しによく出掛けていました。それというのも当時高校では,弦楽器の人数が少なくて自前のオーケストラを編成できなかったんです。フルオーケストラを聴きたくても聴けない。だから京都芸大に足を運んで聴いていたんです。

 授業が行われていた大合奏室では,増井信貴教授(平成28年度退任)が指揮をされていて,勝手に出入りしていた高校生の私の姿を目にしても,いつでも来ていいからと優しく声を掛けてくださいました。中学時代は,クラリネット奏者を目指していましたが,高校に入ってからは一転して指揮者になりたいと思うようになっていました。そんな中で増井先生が親身になって話を聞いてくださり,色々と教えてくださったんです。京都芸大の指揮専攻を目指したのは増井先生の存在があったからこそですが,いざ過去の入試問題を見たらすごく難しそうで自分が合格できるのだろうかと不安になったことを記憶しています。

interviewer_music高校の時から指揮の勉強をしていたんですか?

粟辻 自分が指揮をやりたがっているという話が高校の中で広がって,クラス合唱とか文化祭のオーケストラ等で振らせてもらっていました。それが指揮者としての出発点ということになります。

interviewer_music大学時代に同期はいましたか。

粟辻 2学年上に女性の先輩が二人いましたが同期はいませんでした。東京藝大だったら1学年に二人は学生がいるでしょうが,この人の少なさというのが京都芸大の良いところだと思います。人が少ない分だけ認知もされやすいから指揮者が必要な時に声もかかるし,先生との関係も親密になります。先生の部屋で5時間過ごすとか,普通は考えられないですよ。思い返せば先生の部屋を訪ねて,色んな演奏を聴きましたし,好みの音楽についてだとか音楽談義をしていた経験も自分にとってはプラスになっていると思います。

 増井先生は実に多くのことをご存知で,指揮者の立場から意見を言ってくださるし,私の本番も見に来てくださって指摘をいただいたこともあります。そこまでしていただけるのは本当に有り難いことです。

インタビュアー:松川創(指揮専攻1回生*取材当時)

(取材日:2016年11月17日・京都芸術センターにて)

Profile:粟辻 聡【あわつじ・そう】指揮者

1989年京都市生まれ。2011年京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻卒業。オーストリアのグラーツ国立音楽大学・スイスの国立チューリヒ芸術大学に留学。2015年ロブロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクール第2位。