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服部麻衣さん

1. なぜ描くことに惹かれるのか解明したい

interviewer幼少の頃は,どんな子どもでしたか。

服部 絵を描くことが好きで,小学校から高校までずっと美術部に入部して,いつも絵を描いていました。子どもの頃から,高校を卒業したら美術大学に行くという目標を持っていたんですけど,生まれ故郷の島根県には美術大学がないので,将来は,都会に出て美術の勉強をするんだろうなと思っていました。

interviewer進学先として関西圏を選ばれたのはどうしてですか。

服部 自分の中では関西圏を身近に感じていて,特に京都に憧れがありました。修学旅行ぐらいでしか来たことがなかったから,詳しくは知らなかったんですけど,直感を信じて京都に行こうと思いました。島根では東京よりも関西圏を身近に感じる人が多いので,周りの友達も関西圏に来る人が多かったです。

interviewer京都芸大を志望した理由を教えてください。

服部 1つは,もちろん伝統ある芸術大学で学びたいと思ったからです。もう1つの理由は,京都芸大には総合芸術学科があったからということです。大学案内の冊子の総合芸術学専攻のページで「作る人と見る人を繋ぐ役割」という言葉を目にした時,京都芸大で総合芸術学を学んだら,私がなぜ絵を描くことに惹かれるのかがわかるかもしれない,そして解明した結果を人に伝えてみたいと思うようになったのが志望したきっかけです。


京芸時代:総合基礎実技の課題にて,いろいろなところでテントを張る(大学の屋上にて)

interviewer入学した当時のことを聞かせてください。

服部 私は地方で生まれ育って現役で入学したのですが,それまで展覧会に足を運ぶなど文化的なものにあまり触れずにきたので,京都芸大入学後は,何もかもが新鮮で毎日いろんなことが経験できてとても楽しかったです。

 1回生の時の総合基礎実技の授業は特に印象に残っています。ある時,友達とチームを組んで,与えられた1万円くらいの制作費で何か作って発表する「世界を変えなさい」という課題が出されたことがあって,私たちは簡易テントを作って,いろんな所で寝てみるという活動をしてみました。その時まで,きれいなものとか,心地良いものがアートだと思っていたんですけど,チームのみんなと活動したことによって価値観が変わりました。総合基礎実技の授業を受けるといつも新鮮な気持ちになって,その時の感動が4年間続いていたような気がしますね。


京芸時代:美術館で鑑賞をする方法について説明

interviewerその後の学生生活をどう過ごされましたか。

服部 総合芸術学科では,新入生,在学生,先生方も交えてお茶会などをして楽しく過ごしていました。有志の皆で美術館や寺社などを見学に行ったのが印象に残っています。歴史的な文化財が日帰りで行ける範囲にたくさんあることと,学生が少人数で,アットホームなところが京都芸大という感じですよね。

 大学コンソーシアム京都の単位互換制度を利用して,他大学でいろんな講義を受けたこともあります。

 私の周りでは,入学して間もない頃から,やりたい研究テーマが決まっていた友達が多かったけれど,私はなかなか決まらなかったんです。そんな時,1年先輩の方の研究をお手伝いしたのがきっかけで,子どもたちの美術鑑賞教育に関する研究がしたいと思うようになったんです。子どもたちにこういうことをしたら,こういう反応をして,こういう力が育つんじゃないかというようなプランを検証するんです。先生が小学校に掛け合ってくださって,実際に授業に取り入れてもらったんです。机上の検討にとどまらず,実践することで一定の研究成果も得られました。そのような成果を総合芸術学科では学期末に発表をするのですが,その時は先輩や先生方も勢ぞろいなのですごい緊張感がありました。今は人前で話したり,質問されることもそんなに緊張しませんが,この経験で鍛えられたのかもしれません。

インタビュアー:川久保美桜(総合芸術学専攻 2回生*)*取材当時の学年

(取材日:2014年12月10日・大阪くらしの今昔館にて)

Profile:服部麻衣【Mai HATTORI】学芸員

島根県生まれ。2004年京都市立芸術大学美術学部総合芸術学科総合芸術学専攻卒業。2006年同大学院美術研究科修士課程芸術学専攻(芸術学)修了。京都府内の美術高校での常勤講師としての勤務を経て,2008年から「大阪くらしの今昔館」で学芸員として勤務している。同館では,展覧会等の仕事を通して,たくさんの人や物との出会いを大切にしている。