久門剛史さん 3/4
3. アーティストとしての背中
タイトル:FUZZ
制作年:2015年
素材:六甲山の風の音,旧六甲オリエンタルホテルに在ったスタンドライト,その他
サイズ可変
京都芸大での学生生活の中で印象に残った出来事や授業はありますか。
久門 大学には連日夜遅くまでいましたが,授業にはあまり真面目に出ていませんでした。作品制作に関しては緩急をつけて取り組んでいましたが,作品にならなかったから合評には出していませんでした。そのくせ,先生には作っていた事実も伏せたままで,学外の展覧会に出品したりしていました。先生方は私が彫刻棟で作業をしている様子は見ていましたから,何かを作っていることを把握はされていたと思います。最終的に,学部時代に作ったものは大学院入試の時に全部まとめて見せたのですが,大学院に進むことができたのは,私が受験した年から過去作を見せることが認められるようになったので,恐らくそれで拾ってもらえたんだと思います。
どうして合評に作品を出さなかったのでしょうか?
久門 とにかく先生が恐ろしかったからです。それと,その時々で作っているものの弱点を自分でわかっていたんだと思います。その弱点の解決策は見通せていないけれど,納得がいかない,という自信は逆にありました。当時はプライドがとても高かったから,それが許せなかったんだと思います。ただ,作品展に向けて1年に1回はしっかりと作品制作を行っていました。京都芸大の作品展は卒業生だけでなく,学部から修士課程までの全学生の作品が出展されますから,そういう緊張感のある発表の場を学生時代に繰り返し経験することが京都芸大の良いところだと思います。京都市美術館にしても学内展にしても沢山の人が来て,厳しい視点で見られる場所なので気が抜けませんし,今では大学関係者だけではなく,ギャラリー関係者や外部の人が積極的にスカウトに来るというのを聞きます。
やっぱり総合基礎実技は印象に残っていますか?
久門 総合基礎実技は面白かったし本当に印象深いです。大学の最後も総合基礎実技で終わっても面白かったのでは,と思います。入学した頃と比べたら,学生たちは皆色んな意味でパワーアップしているわけだから,盛り上がるかもしれませんね。
総合基礎実技の課題に戸惑われませんでしたか?
久門 それが入学して最初のカリキュラムでしたから,これが当たり前という感じで普通に受け止めました。中には戸惑う人もいたけれど,ある意味で制作活動にとって不要な概念を潰してくれたと思います。総合基礎実技のようなフレキシビリティを持ったカリキュラムは世界的にも珍しいんじゃないでしょうか。
学科の授業ではどうですか?
久門 あまり真面目に学科に出ていなかったので申し訳ないのですが,印象に残っているのは,当時開講されていた人体解剖学です。最後に実習があって,京都府立医大に検体後の見学に伺ったのですが,顔は伏せてはありましたが本当に解剖された体がステンレスのパレットみたいな上に乗せられていたのが今でも頭のなかに残っていて一番覚えています。
大学院に進んでからも,制作スタイルは変わらなかったのでしょうか?
久門 大学院に進んでからは先生とよく話すようになりました。展覧会の制作や搬入の手伝いをすることで,アーティストという生き方の日々の姿勢を直接感じ取ることができました。これはおそらく講義や授業,講評会といった形式では絶対に教えられないことで,そもそも芸術は教えることができないという考えに立ち戻るとすれば,そうやって現場で闘う先生の背中を見せてもらえることが,芸術大学が世の中に存在する重要な役割のような気がします。私は大学院を出てすぐに就職を決めたのですが,担当教員だった野村仁教授(当時)は,ご自身も会社勤めを長くされていたということもあって,私の就職決定をとても喜んでくれました。
就職することはいつ頃決められたのでしょうか?
久門 大学院時代に交換留学したRCA(英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)から帰国する飛行機の中で就職しようと決めました。交換留学の経験は自分にとってかなり重要な位置を占めています。特に学校での人との出会いから大きな影響を受けました。親しくなったデザイン科の日本の方は大手企業のデザイン部門でキャリアを積み重ねた後に,退職してまで学びに来ていました。京都芸大でも面白い人には出会えるけど,そういった業界のトップレベルで活躍してきた人が学び直しにやってきて,海外で仕事をしようと野心を持っていたのを目の当たりにし,そんな人たちと出会って話をするうちに,自分はアートの世界で生きていけるかと不安になりました。例えば医者であれば医学について造詣が深いのは当たり前で,それ以外のことをどれだけ知っていて,そうした知識をどれだけ転用したり,ヒントにできるかということが本当の意味で革新に繋がると思います。そういう視点で考えて見ると,私の場合,美術のことはまずまず知っているけれど,それ以外のことについての知識=ヒントが全く無かった。例えるなら「引き出し」はどんどん深くなっていきそうだけれど,それを1,2個くらいしか持ち合わせていなかった。留学中にそのことを意識してからは美術だけについて調べるのはやめて,図書館等でデザインのことやその他さまざまなことを懸命に調べました。そうしてロンドンにいる間に人生の選択肢として会社に属するということを具体的に考え,行きたいと思う会社を決めたり,エントリーシートを書いたりして,後の人生に経験の種類を増やそうという意識をもつようになりました。
今,私の周りでは作家を目指してガツガツしている人はいない感じです。それは諦めているのか,他の道を考えているのかはわかりませんが,久門さんの学生時代とは意識が変わってきているのかなとも思います。
久門 学生が作家を目指してガツガツしないというのは,京都芸大の良いところのようにも思います。制作は,心の欠けた部分を補填してくれる大切な行為でもあると考えているので,必ずしも作家として発表することだけが全てでは無いと思います。そうやって作家として発表せずに,でも制作して心の穴を埋めることができているなら,それはそれで十分,その人の中で美術が機能していると思います。
就職する人も様々で,安定を求めての人もいれば,作家として活動するよりももっと面白いものがあると考えての人もいるでしょうから,一概に作家を目指さないのはどうかということも言えないと思います。
非常勤として大学に勤める立場からの視点で,今は少子化の時代のせいなのかもしれませんが,大学側が学生に対して過保護というかサービスをするようになってしまっているように感じます。しかし,こういうやり方があるんだよとか教えられても,技術なんて必要に迫られた時でないと人は本気で覚えないと思います。なにより自分が好きとか良いと思っていることに対して,どれだけひたむきに向き合えているかといった,作家という生き物としてのパンクでリアルな姿を見せるというのが京都芸大の先生の仕事であってほしいと思っています。
インタビュアー:渡邉 瞳(総合芸術学科2回生*)*取材当時の学年
(取材日:2016年10月3日・本学大学会館にて)
Profile:久門 剛史【Tsuyoshi HISAKADO】美術家
1981年京都府生まれ。2007年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻修了。日常に潜むささやかな事柄に着目し,その場所特有の歴史や現象を採集し,音や光,立体を用いてインスタレーションを組み立てる。主な展覧会に「あいちトリエンナーレ2016」(豊橋会場,愛知,2016年),「still moving」(元・崇仁小学校,京都,2015年)「Quantize」(個展・オオタファインアーツ,東京,2014年)。日産アートアワード2015でオーディエンス賞,VOCA展2016では大賞にあたるVOCA賞を受賞するなど,受賞歴多数。大学在学中の2002年よりアーティストグループSHINCHICAとしても活動している。平成27年度京都市芸術文化特別奨励者(2015年)。平成28年度京都市芸術新人賞(2017年)。