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【エッセイ】松・竹・梅―〈高砂〉その他

林明珠 シンガポール国立大学日本学科准教授

 

5月に京都市立芸術大学の移転を記念して上演される〈翁〉と〈高砂〉の公演が、たいへん待ち遠しいところである。

〈高砂〉に登場する常緑の松のイメージは、私にとって特に興味深い題材である。多くの二部構成の能と同様、〈高砂〉の前場の主役(シテ)は、ひとりの普通の老人である。彼は年老いた妻に付き添われて、年を重ねた松の木の陰で、地面を掃いている。この場面は、穏やかな雰囲気をもった、絵のような映像を思い出させる。老人と松の木は、ふたつが組み合わせられることにより、古くからの知恵、強さ、長寿などを象徴することになる。訪問者(ワキ)の質問に答えたあと、老人はすぐさま、自分が松の木の精霊であると訪問者に告げて、住吉まで船に乗ってくれば、必ず再会すると約束する。

世阿弥の作とされている〈高砂〉の魅力は、豊かな文学的背景、登場する人物、溢れ出すような祝言・祝賀の雰囲気の中に見出すことができる。最初の場面(前場)は、松の木の美徳の宣言に始まり、次第に夫婦和合の祝福、和歌のもつ力の讃美へと移り、賢明な王による治世を祝福するなどのテーマに至る。松のイメージの展開によって、〈高砂〉は日本文化の中で最も大切にされてきた価値を多面的に表現する作品となった。

松竹梅 ©林明珠

 

松の木が重要な文化的価値の象徴であるというのは、なにも日本文化だけに限られたものではない。中国では、すでに古代の『論語 子罕篇』に、松の木の独特な特徴が次のように説明されている。
「松や檜が枯れるのは、最も厳しい寒さの厳しい季節が過ぎた後だけである」(寒、然後知松柏之後凋也)と。かくて中国においては、厳しい冬の寒さに耐える常緑樹の松は、たとえ逆境に直面しても耐え忍ぶことのできる人間を象徴するイメージともなった。

竹や梅の木も、松の木と同じように持続力・回復力をもった樹木である。孔子の時代以来、中国文化の想像力の中では、竹も梅も、松と同じような位置づけをなされるイメージとなってゆき、それがよく知られるようになっていった。松・竹・梅の三者を「厳しい冬の三人の友達」(寒三友)と呼ぶ言い方がある。この三者には、冬の極寒の寒さにも関わらず繁栄を続けるという特徴がある。じっさいこの三者は、自然の中でたとえ雪に覆われても、その色と形を保ちつづけているのである。

雪をいただいたイメージは、見た目が美しいというだけではない。三者の強さと回復力をはっきりと表している。詩人や画家たちは、この驚くべき自然の不思議さからインスピレーションを受けてきた。近代以前の中国の多くの文学作品や絵画の中には、松、竹、梅の花がよく描かれている。中でも梅は、唐宋の詩人にたいへん好まれたようだ。松や竹とは異なり、梅の花はピンクと白の花びらがあり、花が咲くと、ほのかな香りがあたりに漂う。梅の花の香りは、枝に咲いているときであっても、また地面に散って土に混じるときであっても、その香りは持続する。そのことによって、梅の花の粘り強さや生命力のイメージはさらに高まっていくのだ。

宋の詩人、陸游は次のように述べる。「地表に落ちて泥に混じり合ったとしても、その香はまだ、もとのままに残っている(零落成泥碾作塵、只有香如故)」(陸游「卜算子詠梅」)と。

梅の花の香りに注目したのは、中国の詩人だけではない。『古今和歌集』巻一春歌上にある「君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る」。歌人の紀友則は梅の花の美しさを鮮明に描いて、しかもその美しさが、「君ならで」つまり特定の相手にのみ伝わっていくということを強調した。

しかし長い時代をへて、私たち国内外の和歌の読者は、「梅の花」に触れた和歌を読むと、あたかも私たち自身が「知る人ぞ知る」と名指しされた特定の相手であるかのように感じつつ、「梅の花」という言葉に込められる象徴性を即座に理解できるようになってきた。それはちょうど現代の私たちが、能の〈高砂〉の中にあらわれる、年をとった古い松の木のイメージを見ると、即座にそれを祝福性のシンボルであると感じ取ることができるようになっているのと同じような回路である。日本と中国の両方の文化的な流れの中で、常緑樹の松の木は竹や梅の花とともに、知恵、長寿、高い道徳性など、大切にされてきた価値を連想させる文学的な象徴としてインスピレーションを与え続けてきた。 〈高砂〉は、脇能(初番目物)を代表する作品のひとつであり、京都市立芸術大学の歴史的移転を記念する公演には、もっともふさわしい作品であると言えるだろう。

 

翻訳:藤田隆則


林明珠 

©林明珠

Beng Choo LIM (林明珠 リム ベンチュー)

シンガポール国立大学日本学科(National University of Singapore)准教授。学科長。
日本文学および演劇を対象に、伝統と現代の両面からの研究に従事。著書にAnother Stage: Kanze Nobumitsu and the Late Muromachi Noh Theater, 2012(『もう一つの舞台 – 観世信光と後期室町時代の能楽』)ほか。現在は、日本の伝統演劇とデジタルテクノロジーの関係に関する調査を継続中。