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【エッセイ】「祝賀能」への期待

ヤロスロフ カプスチンスキー(スタンフォード大学作曲科准教授)

 

能という芸術は、精巧にできあがった演劇形式、日本の豊かな文化遺産をよく表したものとして、国際的に認識されている。能は、その根を深く、儀礼、伝統、精神的なものにおろしている。音楽、舞踊、詩のユニークな混淆体であり、何世紀もの間、観客を魅了しつづけてきた。そのさまざまなレパートリーの中でも翁は、特別な位置にあるもので、私のようなマルチメディアアーティスト、作曲家からみると、とくに興味をそそられるものである。

京都市立芸術大学のキャンパス移転を祝うために日本伝統音楽研究センターが企画している金剛流による翁と高砂の上演を、とても楽しみにしている。というのも、翁には語っても語りきれないほどの魅力がつまっているからだ。翁は、能の大成よりも以前、現在よりおよそ1000年前に誕生している。翁は神聖な儀礼として、平和と繁栄とをもたらすものとしてデザインされている。こうして翁は、たんなる演劇であるというよりは、より神道的な儀礼を色濃く映し出すことになっている。

私のような作曲家にとっては、翁は独特な魅力があるものとうつる。他の演目とは異なって物語性を欠いているため、聞き手の注意は、その豊かな音楽と舞に向けられることになる。その表現の幅は、能楽の中でも最も大きい。瞑想状態に似た深い静寂と静止の時間があると思えば、その一方には、能楽の中でも最も活発でテンポの速い音楽と、力強い舞がある。

音楽的にみても、翁には心奪われるものがある。まず目をひかれるのは、3人による小鼓方の演奏である。小鼓方による複合的な効果は、強力なリズムの統一感を生み出すが、そうであるにもかかわらず、各々の小鼓は独自の存在感を保っているのである。彼らはほとんどの部分で3人一緒に演奏している。それは打楽器による豊かな音、言い換えるなら、エネルギーの「合唱団」(”choir” of energy)を生み出している。これにより、演能の祝祭的な性質が高まるのだ。その一方で、独特の美しさを与えるものでもある。この美しさとは、「さび」といった美的理想を彷彿とさせるものである。そこでは、リズムは全体として同調しているが、小鼓を打つ音にはわずかなタイミングのずれがある。そのずれ、いわば不完全さを、慎しみ深く包み込んでいる様子は、たとえるならば、まるで陶器の金継ぎの美のようである。

翁のリズムとテンポのパターンは、通常の能楽の演目とは一線を画しており、速いアタックの繰り返しや、掛け声のないまま長く演奏される部分などがある。掛け声がある時、その掛け声はときに、独特の長さをもって、また旋律的である。その掛け声は、他の要素と重なり合うことによって、格別に大きな表現力をそなえることになっている。

また、翁による舞は、その体験をより豊かにしてくれる。翁の役が、途中で止まったかのように見える瞬間がある。それが、背景の音楽とはっきりしたコントラストをつくりす場面がある。翁が静止した姿は、音楽の力と意味を強調させることになり、音楽を精神的な祝福を導くものに作り変えることになっている。

翁に出てくる2人目のキャラクターである三番叟の舞は、この複合芸術の体験に新たな層を重ねてくれる。三番叟は、最初の舞では面をつけず、何度も足を踏み鳴らしているが、3人の小鼓演奏者の掛け声と一緒になって、三番三と3人が、繋ぎ目なしに融合しているかのような状態を作り出している。それはまるで、農民たちよる儀式的な舞が再現されているようである。引き続いて行われる舞では、鈴によるリズムが絶え間なく続き、まるで催眠術にかかったかのような音色が、音楽にくわわって、魅惑的な雰囲気が生まれていく。

要するに翁は、単なる演劇ではない。古代の儀式と演劇の間の隔たりを埋めるものであり、時を超える旅へと観客をいざなう。翁の中で繰り出される無数の音のテクスチャーは、一作曲家にとってはインスピレーションの宝庫である。みなさんと一緒になって、5月の公演を待ち望むことにしたい。能楽の豊かな美と翁の魔法にかかることを、とても楽しみにしている。

©JAROSŁAW KAPUŚCIŃSKI


ヤロスロフ カプスチンスキー JAROSŁAW KAPUŚCIŃSKI

ポーランド生まれのインターメディア作曲家、ピアニスト。現スタンフォード大学作曲科准教授。ワルシャワのショパン音楽院でピアノと作曲を学び、カリフォルニア大学サンディエゴ校の博士課程でマルチメディアとインターメディアアートの教育を受けた。ニューヨーク近代美術館など、世界中で作品を発表したほか、パリのユネスコ・フィルム・シュル・ラール・フェスティバルなどでインターメディアアートの賞を受賞するなど作曲家・演奏家として活動している。又、教育者としても国際的に活躍している。