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【2024年3月公開】宝生欣哉氏に聞く#1

宝生欣哉氏

宝生 欣哉|プロフィール

1967年生。「猩々乱」ワキにて初舞台。「張良」「道成寺」「姥捨」「檜垣」「関寺小町」「檀風」を披く。
国立劇場伝統芸能伝承者養成「能楽(三役)」研修講師。一般社団法人日本能楽会理事。重要無形文化財「能ワキ方」保持者(各個認定)。

1 宝生欣哉氏にとっての〈高砂〉

北脇:今回の公演では〈高砂〉を上演していただきますが、宝生先生にとって〈高砂〉はどのような演目か、まずはそこからお聞きできればと思います。

宝生:やっぱりおめでたい曲の代表的なものですよね。〈高砂〉〈老松〉〈弓八幡〉っていうのは脇能の中でも、特におめでたい曲だという話を聞いたことがあります。

北脇:〈高砂〉のどのような部分からおめでたいというイメージを持たれていますか?

宝生:披露宴とかだとよく〈高砂〉の初同(*1)を謡うこともありますし、相生、夫婦ということがテーマになっているのが〈高砂〉です。

北脇:演目のテーマからしておめでたいということですよね。子どもの頃からそういうイメージはお持ちでしたか?

宝生:ないです(笑)。

北脇:ないですか(笑)。そうなんですね。

宝生:シテ方みたいに、僕たちは地謡とかで若いときから出るわけではないので。〈高砂〉に祝言の小書がついたときに、ワキツレでちょこっと出るっていうのはあるのですが。うちの父はあまり細かい内容だったり「こういうことだから、こうだ」というのは教えません。なので内容的なこととかは直接あまり聞いたことがありません。

北脇:ワキ方では〈高砂〉を若いうちからやるということはあまりないのですね。演目の中でも習う順番があると思うのですが、〈高砂〉はどのぐらいの時期に演じる演目になりますか?

宝生:僕たちがワキツレじゃなくて最初にワキの役をもらうときに多いのが、切能の演目です。僕の場合はそれを少しやった後に、修羅物があって、その後に脇能のワキをすることが多かったです。

北脇:切能とか修羅物の方を先にされる。

宝生:その方が先でしたね。

北脇:それは脇能の方が演じるにあたっての難しさが違うということでしょうか?

宝生:難しいのか、何だろうな。最初の切能は強吟の謡が多かったりするので、そこから入るというのはあるんだと思います。そこで修羅物をすると弱吟のものが出てきて。それで両方をまたいで、今度脇能になると強吟になるけども、切能のような強吟だけではいかない。

北脇:シテ方の先生は、脇能は能の物語として定型を踏んでいる演目が多いので、そういうものを最初にやって、その後に物語的な要素の強い演目をやっていくことが多いとおっしゃっていましたが、ワキ方の場合にはまた少し違うんですね。

宝生:そうですね。脇能は、細かく言えば習(ならい)(*2)の動きになってしまうんです。すぐにそこにはいけないので、まず普通の次第とか名ノリをやってから、ということになります。

北脇:そういう違いがあるんですね。それは宝生家だけではなくて、他の流儀でも同じですか?

宝生:流儀によっては違うかもしれませんね。僕たちの場合には、先輩も切能をやって、修羅物をやって、その次に脇能をやって、という感じだったと思います。

北脇:最初に演じられる切能ですと、例えばどんなものがありますか?

宝生:〈鍾馗〉とか……あと何だろう。

北脇:シテ方とは全然違いますね。先生が舞台で初めて演じられた演目は何でしたか?

宝生:僕がワキをやったのは〈猩々〉だったので、またちょっと違います。結局ワキの役って大人の役がほとんどなので。唯一〈猩々〉のワキは子どもの役なので、それは最初の方に色々なところでさせていただきました。

〔編者注〕

(*1) 初同・・・一曲の中で地謡が初めて謡う部分。〈高砂〉の初同は「四海波静かにて。国も治まる時つ風。枝を鳴らさぬ御代なれや。逢ひに相生の。松こそめでたかりけれ」という詞章を持つ。

(*2) 習・・・高度な技法を必要とし、特別な伝授を受けなければ演じられない曲目や演出。

イラスト:はじまりイラスト:はじまり

2 ワキ方としてのキャリア・舞台でのエピソード

北脇:初舞台を踏むのはいつ頃になりますか?

宝生:僕は八つのときです。装束を着て舞台に出たのが八つ、小学校二年生のときです。

北脇:そうなると、〈猩々〉以外の演目に出るというのはもう少し間が空きますか?

宝生:そうですね。それからもう一つ、小学生の高学年だったと思いますけど、東京では僕らの世代はシテ方もお囃子方も人数が多かったので、子どもの日に「子ども能」というのがありました。

北脇:それは演者が……。

宝生:ほとんど子ども。

北脇:ああ、可愛いですね。

宝生:一番上の人たち、今の観世の宗家とかが地謡を謡われていたと思います。

北脇:子どもの頃に。

宝生:小学生から中学高校の子どもが立役、お囃子方で出ていました。この子どもの能を何年間かやっていると思いますね。

北脇:すごいですね。子どもさんだけで能ができてしまうんですね。

宝生:それが〈土蜘蛛〉だったりするんですよ。ワーッって。

北脇:ちょっと楽しい演目ですね。

宝生:ちょっと楽しくいける(笑)。

北脇:少し見てみたいです。そこにワキ方として出られた。

宝生:そうですね、そういう役の方が子どもの頃は多かったですね。観世喜正さんがシテ方で〈経正〉をやったことがありました。あまり子供がワキをしないと思うんですが、子どもがシテをやるからと言って、私がワキをやったことがあるんです。そのあと少し年齢を重ねて、僕が〈経正〉のワキをして、今の梅若玄祥先生、実先生がシテをされたときに「やりにくいなあ」と言っておられました。やっぱりワキはある程度年齢を重ねていた方が役としては良いんですよね。結局脇能にしても修羅能にしても、ほとんどの曲のワキ方は大人、ある程度の年齢を重ねた人がやる役がほとんどなので、子どもとか若い人だとやりにくいことが多い。

北脇:梅若先生がそう仰っていたのは、宝生先生がおいくつぐらいのときですか?

宝生:まだ二十代ぐらいじゃないかな。

北脇:じゃあお若いですね。

宝生:そのとき梅若先生は四十代かな。

北脇:それで「ちょっとやりにくい」と。

宝生:ワキが若いのに、シテはそれより若い役をやっているわけ(笑)。いくら面をつけているとは言え、なんか嫌みたいですね。

北脇:そうすると、最初に舞台を踏まれて、その後二十代での演能の機会は今ほどは多くはなかった、というところですか?

宝生:二十代の頃は、ワキツレの方が多いですね。たまにはワキの役をつけてもらえることもあって、京都でいう京都若手能みたいな公演会が東京でもあるので、そういうときにつけてもらいました。宝生流では五雲会というのが若手のための会で、そこでやらせてもらうこともありました。

北脇:ワキツレではなく、ワキをされるようになったのはおいくつぐらいですか?

宝生:十代、二十代もほとんどワキツレです。三十代になると、ワキとワキツレが交互ぐらいになってくる感じですかね。

北脇:ワキとワキツレだと謡う量も随分違いますし、責任感も違いますね。

宝生:最初の頃は分かっていなかったんですけど、〈高砂〉だとワキがいて、ワキツレが二人いるんですよね。最初のうちはワキツレの一番下の方にいるんですけど、途中からは「主ヅレ(おもづれ)」って言ってワキの隣にいるんです。本来主ヅレをする場合は、ワキに何かあったときに代わらないといけないんです。舞台上で何かあったときには、主ヅレがすぐにワキと代わる。舞台に出る前でも代われるようにしておかないといけない、というのがあります。なので主ヅレという役をやり出してしばらくしてから、山本東次郎先生に「いつでも代われるようにしておかないといけないんだよ」と言われました。「ええ」とかって言いながら(笑)。

北脇:実際に代わられたことはありますか?

宝生:あまり大きな声では言えない(笑)。

北脇:大きな声では言えないですか、オフレコで(笑)。

宝生:僕がツレだったのね。それで父が掛け持ちで(ワキを勤めていて)、一つ前にどこか公演をやってから来ることになっていて。東京の大槻先生の会だったと思うんですけど、「閑ちゃんはいつ来るんだい?」「もう来ると思うんですけど」とか言っていて。それで電話したら「まだ舞台にいる」って。「え?」と。大槻先生に「何時に終わるの?」と聞かれて、「間に合うって言ってたんですけどね」と言って。〈求塚〉か何かの演目だったんですけど、装束を着て、まだワキツレの格好で、狂言も終わって休憩も終わってしまう。でもまだ父が来ていなくて、「どうしましょう」って言ったら、「できる?」「いや、ええ?」とか言って舞台に出ました。ある程度は覚えていたのでいけるかなと思っていたんですけど、中入りのアイとのセリフをまだ習っていないんです。舞台に出てから、「アイとの言葉が分からない……」って気付いて(笑)。まずいことになったな、どうしよう、と思っていたら、次第が終わってシテが出て、問答になる前のところで向こうから装束を着た父が出てきて。「はぁ〜(安堵の様子)」ってなりました。

北脇:そういうことが実際にあるんですね。

寶生:アイの言葉が分かってないって知ってて、装束を着て出てきたのでしょうか?

宝生:ううん。まだワキの掛け合いまでいってなかったから、「まあ良いか」って出てきたみたい。

北脇:じゃあ偶然。

宝生:「大丈夫かと思ったけど」って終わってから言ってたからね。いや、大丈夫じゃない。中入りの言葉を知らなかったから。それを伝えると「ああ、そうか」って(笑)。

北脇:今お話を伺っていて気付いたんですが、演目を習われるときは、全部を一気に習われるわけではなくて、例えばワキツレだと最初の次第のところだけとかを習われるんですか?

宝生:次第、名ノリ、道行、着キゼリフ、待謡っていう形で最初はずっと習っていました。ワキのときは一曲習うんですけど、ワキツレのときは、父が面倒くさいからなのか分からないんですが、ワキツレのところだけをやって終わってしまう。中学生とか高校生の頃はそういう感じでしたね。

北脇:ワキ方もシテ方の謡を習いに行かれることはあるんですか?

宝生:習う人もいると思うんですけど、一応うちの流儀の謡本があるので、僕たちはそれで習っています。シテと一緒に謡うことがあるので、そのときに「どうやって謡うんですか?」って聞いたりします。あと結局ワキツレで出ていると、何となく舞台で耳に入っているということもあります。地謡の謡い方はまた何となく違うっていうのも分かるんですけど。それで細かいところは先輩とかに聞いたり、シテの人に「こんな感じで良いんですか?」って聞いたりして合わせてもらうっていう感じですね。

北脇:じゃあワキツレを演じられている頃っていうのは、演目全体を必死に覚えるというよりは、ひとまず自分のところを一生懸命やっていかれる。

宝生:自分のところだけ。だから今の子どもたちもそうだけど、「いつ終わるんだろう」って思う。僕は経験してるから分かるけど、子どもたちはいつ終わるか分からないから、足が痛くても「いつ立つんだろう、いつ終わるんだろう……」ってずっと考えているうちに終わる。それで「ああ、立てる」っていう。それがだんだん慣れてきて「もうすぐ終わる」って分かるようになると、「あれ、痺れてる」とか「立てないかもしれない……」と思うようになる。だから知らない方が、緊張感があって良いのかもしれない。

北脇:逆に(笑)。

宝生:逆に。これもあまり言っちゃいけないですね(笑)。

宝生欣哉氏インタビューを受ける宝生欣哉氏

3 〈高砂〉ならではの特徴

北脇:最初に〈高砂〉も含め脇能はある程度経験を積んでから演じる演目、というふうに仰っていましたが、その他に〈高砂〉に関して特徴的だと思われるところは何かありますか?

宝生:特徴っていうよりも、これは僕の思いなんだけど。あと何年できるか分かりませんけども、今後もずっと〈高砂〉をやっていくじゃないですか。その中で〈高砂〉っていうのは、何も考えないで出ていってやりたい曲なんです。無心で一番を演じる。その代わり、すーって終わりたい。一生懸命に「これはこうして……」って考えてやるんじゃなくて、何もなく「今日は〈高砂〉をやるんだ」って出て行って帰ってくるのが一番理想、そんなことを思っている曲です。

北脇:色々な演目の中でも、とりわけ〈高砂〉についてはそう思われる。

宝生:なぜか〈高砂〉だけ。変に色々考えて、「こうしてやろう、ああしてやろう」とかっていうのではなくて、無心で出て行って、すーっと勤めて終わりたいのが〈高砂〉かな、っていうのが少し前からあります。何で急にそう思ったのかは分からないんだけど……。

北脇:他の脇能では、そういうふうに思われることはありますか?

宝生:他の曲ではあまりそういうふうには思わない、って言うとおかしいのかもしれないですけど、ちょっと違うんですよね。〈老松〉にしても、やっぱり少し考えてやりたい。僕たちの教わったこととしてもそうなんだけど、〈高砂〉の位と〈老松〉の位だと、〈老松〉の方が少ししっかりめ、ということがあるので、脇能の基本になっているのが〈高砂〉なのかもしれないですね。〈賀茂〉だともう少し乗って謡う。

北脇:〈高砂〉が一番脇能のベースになっている。

宝生:そうなっているのが〈高砂〉なのかもしれないですね。

北脇:そこから他の演目ではしっかりめに謡うとか、色々工夫を加えていく。

宝生:それで居語リ(*3)で待謡(*4)があるっていうのは〈高砂〉もそうだし、〈老松〉〈弓八幡〉もそうなんだけど、その中でも〈高砂〉がやっぱり主にあるのかなと。

北脇:それは面白いですね。それはやっぱり物語上の構成からして、〈高砂〉が基本になるんでしょうか。

宝生:そういうわけではないのかもしれないけど。逆に〈高砂〉でも小書がついてしまうとまた違うんだと思うんですけど、普通の〈高砂〉を何も考えずにできたら良いなと思います。他のものでもそうなのかもしれないですけど、僕は特に〈高砂〉についてそう思います。

北脇:そういう舞台だと、観ている側もすごく清々しいというか、爽やかな印象を持ちます。

宝生:ただ速いだけじゃなくて、そういうのが良いんだと思います。よく言われますが、水がさーっと流れるような感じに謡えたら良いな、と思います。そしてそれが自然である。速いとか遅いとかじゃなくて、自然に「ああ、良いなあ」って思えるようになれたら良いなと。うるさいというのもなく。若いうちは脇能で強く謡うっていうと、どうしてもがなりたくなるんですけど、ある程度年齢を重ねると、それも踏まえてできるようになれればいいなというのはあります。それが多分〈高砂〉は無心でやれたら良いなと思っているところなのかもしれません。引き出してもらっちゃったよ(笑)。

北脇:とても興味深いお話をありがとうございます。他の脇能に比べて基本になる曲ということなんですが、それは謡や動きに関しても基本の形が多いということですか?

宝生:そうですね、シテ方は幕離れ(*5)っていうのはよくありますが、僕たちにはこれがあまりありません。でも脇能の五段次第(*6)のときにはワキも必ず幕離れがあるので、そういうときの動きが脇能の特徴的なところです。結局お囃子方のノリっていうのもあるので、手組みによってはあまりスッといってしまうと、余りすぎてしまったりする。少し手が長かったりすると、心持ちを合わせないといけないので、うまいこといかないこともありますけど。でも〈高砂〉を先にするよりも、〈賀茂〉とか〈竹生島〉みたいな脇能を僕たちは先にすることが多いと思うんですよね。僕らは仕事を受ける側なので、脇能を頼まれたら「じゃあやらせてみようか」ということになるので、必ずしもその順番ではないんだけども、他の演目をやっても、〈高砂〉だったらこのぐらいっていう基準をいつも持っています。

〔編者注〕

(*3) 居語リ・・・間狂言でアイがワキと応対して舞台中央に座って語ること。

(*4) 待謡・・・中入り後、後シテの登場前にワキによって謡われる謡。〈高砂〉の待謡は「高砂や。この浦舟に帆を上げて」という有名歌である。

(*5) 幕離れ・・・幕があがって舞台に出てくるときの演出や所作。

(*6) 五段次第・・・囃子による登場音楽である次第は、脇能のワキの登場のときのみ五段次第という長いバージョンで演奏される。省略して演奏されることもある。


インタビュー日:2023年11月7日

  • 聞き手・編集・撮影:北脇あず美(京都市立芸術大学大学院 美術研究科修士課程芸術学専攻)
  • 聞き手・録音:成瀬はつみ(京都市立芸術大学大学院 音楽研究科日本音楽研究専攻修了生)
  • 聞き手:寶生紗樹(京都市立芸術大学大学院 音楽研究科日本音楽研究専攻修了生)
  • 編集:荒野愛子(京都市立芸術大学大学院 音楽研究科日本音楽研究専攻修了生)
  • 校正:関本彩子(京都市立芸術大学大学院 音楽研究科日本音楽研究専攻修了生)
  • イラスト:水流さぎり(京都市立芸術大学 美術学部日本画専攻)
  • 監修:藤田隆則(京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター教授)