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【エッセイ】〈翁〉のなにがおもしろい?

沖本 幸子(東京大学教授)

 

〈翁〉のおもしろさは、そのギャップにある。

まず、〈翁〉はとても楽しい。にこやかな笑みをたたえた面は、見る者をそれだけで幸せにしてしまう。能の老翁面(尉面)が眉間にしわを寄せたやや険しい表情をしているのとは対照的で、翁の表情は、狂言の福神たちのようにほがらかだ。囃子も明快で力強いリズムを刻んでいくし、翁自身の動きは少ないが、露払いの千歳、三番三の舞は、跳んだりはねたり勇壮で爽快。見てすっきり、気持ちよくなるような、はつらつとした舞台だ。

 

しかし〈翁〉は、能にとって最も重要で厳格な演目であり続けてきた。能のルーツというだけでなく、精進潔斎してから臨まなければならない演目で、演じる前の楽屋には「翁飾り」と呼ばれる祭壇が準備され、翁面が祀られる。切火で舞台と楽屋を清め、お神酒・洗米・粗塩、切火で出演者が身を清めてから舞台に上がるというのも〈翁〉だけの慣習だし、囃子も地謡も素襖裃に侍烏帽子という正装で舞台に並ぶ。詞章も「どうどうたらり」といった呪文のような部分も多く、一つの物語を結ばない。〈翁〉だけの特別のルールがあり、独特の緊張感がみなぎっている。

 

楽しいのに、厳格。親しみやすいのに、不思議。実は、このギャップの中にこそ、〈翁〉のおもしろさ、〈翁〉の謎を解き明かす鍵がある、と私は考えている。その謎をひもとくために、ここでは各地の民俗芸能の〈翁〉に目を向けて見よう。

 

各地の翁たちは、能の翁と打って変わって饒舌だ。たとえば翁の自己紹介。3000年に1度実が成るという西王母の桃を3度食べたとか、琵琶湖が7度干上がって8度湖になるのを見ただとか、途方もなさすぎて笑ってしまう長寿自慢が繰り広げられる。そして、天竺、唐、日本、さまざまな宝を数え上げ、宝船に乗せてやってきたなどと語るのだ。(上鴨川住吉神社の神事舞、北方のねそねそ祭り、古戸の田楽など)

 

能とはまるで別物と思われるかもしれないが、そうではない。「どうどうたらり」「総角やとんどや」「あれは何所の翁ども」などなど、民俗芸能の〈翁〉も、しっかり能の〈翁〉と同じ詞章や構造を持っている。おそらく、現在の能の〈翁〉は、膨大な語りと笑いの要素を持つ元〈翁〉を大胆に編集してできあがったものなのだ。

 

なぜ、そして、どのように能の〈翁〉が今の形になったのか。民俗芸能の〈翁〉と照らし合わせることで、〈翁〉の古態、能の〈翁〉にはもはや失われてしまった笑いや語りの世界をよみがえらせ、能という芸能の編集術や、起源の秘密に迫れるかもわからない。〈翁〉はだから、能の秘密そのものとも言えるのだ。

 

上鴨川住吉神事舞(神戸女子大学古典芸能研究センター所蔵)

上鴨川住吉神事舞(神戸女子大学古典芸能研究センター所蔵)

 


沖本 幸子 おきもとゆきこ 

東京大学教授。中世を中心とした日本芸能の研究。著書に『今様の時代』(東京大学出版会、2006年)、『乱舞の中世』(吉川弘文館、2016年)など。