閉じる

共通メニューなどをスキップして本文へ

ENGLISH

メニューを開く

【出演者インタビュー】吉阪一郎氏に聞く#1

吉阪一郎(きちさか いちろう)

昭和40年(1965年)生まれ、小鼓方大倉流。幼少より故祖父 吉阪修一に稽古を受け、昭和50年 独鼓〈竹生島〉で初舞台。昭和61年大倉流小鼓十六世宗家 大倉源次郎師に内弟子入門。平成3年独立。これまで「獅子」「乱」「鷺」「道成寺」「卒都婆小町」「鸚鵡小町」「姨捨」などを披き、世界各国での能公演に参加。社中の会「若葉会」主宰。日本能楽会会員。国立能楽堂研修課程講師。重要無形文化財保持者(総合認定)

吉阪一郎氏

吉阪一郎氏

1 吉阪先生にとっての〈翁〉

 

北脇:よろしくお願いします。記事を読んでくださる方は、能にあまり馴染みのない方もありますので、一般的な当たり前の事柄も含めてお話しいただければと思います。
まず〈翁〉について、拝見していますと、お正月の会であったり、例会の一番初めであったり、晴れの場とか、お正月とかに演能されることが多いと思うのですが、吉阪先生にとって〈翁〉というのはどのような演目か教えていただけますか。

 

吉阪:そうですね……すごくしんどい曲です。多分質問の意図とは違う答えだと思うんですけれども、とてもしんどいんです。〈翁〉は前半の翁と、後半の三番三とに分かれていますが、翁が終わるとすぐに三番三が始まるのでほとんど休むところがなくて打ち続けなんです、しかも単調なリズムを。いくつかパターンは変わるんですけど、それらがずっと続いていく。一定の速さで同じパターンを繰り返し打ち続けるというのは、能の中ではそんなにありません。真ん中で打つのが頭取、その両脇を脇鼓というのですけれども、脇鼓は同じパターンを繰り返して行き、次にパターンが変わるよ、と合図を出すのが頭取です。頭取は、翁の型を見てパターンを変えていくので、注意深く勤めているのですが、脇鼓は、合図が来るまで同じパターンを繰り返しているだけなので、特に子供の頃は、ともかくひたすら打たされている感があって、とてもしんどい。若いうちは脇鼓しかさせてもらえませんから、子供の頃からの印象が強烈で、まず〈翁〉はしんどいというのがありますね。

二十歳の頃、大倉宗家の内弟子に入り、大倉源次郎先生が〈翁〉の前には身を清めるために水を浴びはるんです。こういうことをこの曲ではするんやなと衝撃を受け、神聖な曲であることを初めて知りました。〈翁〉に対する事前の取り組み方や特別な準備が、シテ方や囃子方、各役に色々あるということを知って、心構えを特に意識するようになりました。

どのような演目かという意味では、ありきたりな答えですけど、神聖な曲です。かつ小鼓方にとっては、非常に特別な曲です。というのも、3人で打つという曲は他にありませんしね。自分が欠けたらできひんでしょ?普段の能でしたら体調不良で代役を立てるということもあるでしょうけれども、〈翁〉は小鼓3人揃わないといけないわけですから、そこでの責任感というのは、若い頃の脇鼓であっても芽生えてきます。声出さんといかんし、楽にさぼってはいけないし……。頭取をさせてもらうようになると、今度はまた違う責任があるんですよね。間違ったらいけないし、周り(脇鼓)にちゃんと伝わるように指示を出さないといけない。どのタイミングで打つんだという合図をコミといいまして、〈翁〉のときだけ声に出して「ツ」というんですね。普段ひとりで打つときは、打つタイミングというのはお腹の中で「ツ」と取ってから「ホー(掛け声)、ポ(打つ音)」と、声には出さないんですけど、3人で打つ〈翁〉だけ出すんです。

 

荒野:声に出すのは大倉流のしきたりですか?

 

吉阪:他の流儀は出していませんか?

 

荒野:あまり聞こえない気がします。大倉流は「ツ」というのがすごくよく聞こえます。

 

吉阪:かもしれません。他の流儀はあまり見る機会がないので。幸流でも出してらっしゃいますけども、声のボリュームが違うのかな。

 

荒野:見ている方としては、「ツ」と聞こえて面白いんですけど。

 

吉阪:それも結局習うんじゃないんです。長いこと脇鼓を勤めていく中で、それこそ何回勤めてるのかわかりませんけど、150-60回くらい打っているのかなぁ…、頭取がどうしてはるのかっていうのを聞いて覚えている。この先生はこういう風にやってはる、あの先生はこういう風にやってはる、と。僕の中の頭取の基準は、やっぱり一番多く脇鼓でご一緒させていただいた大倉源次郎先生で、その経験から学んだことを、自分が頭取の時は脇鼓にコミが伝わるよう自分なりに工夫をしています。

2 お稽古・初舞台について

 

北脇:〈翁〉の伝授はいつ頃受けられましたか。またどのようにお稽古されましたか。

 

吉阪:謡を覚えなくても、型を知らなくても、ともかく一定のパターンをいくつか覚えて、頭取に従ってそれを繋げればそれなりに打てるんです。ただ、体力がいるので、あまり小さいうちからとはいきませんけれども、小学校の高学年になれば稽古はできます。まずは脇鼓。〈翁〉っていうのはやっぱり人手がいりますから、稽古は割と早い段階からします。僕が初めて〈翁〉を打ったのは、定かに覚えてないんですけど、中学生ぐらいでしたかね。

 

関本:脇鼓でということですよね。

 

吉阪:もちろん。祖父が頭取の脇鼓でお役をつけてもらったんだと思います。それまでは脇鼓よりも後見に駆り出されることが多かったですね。打つ人と後見とで6人要りますから。

 

荒野:脇鼓をやられる前に後見で?

 

吉阪:そうやったと思います。当時は大倉長十郎先生が京都観世会の初回の〈翁〉をよく勤めてらっしゃったので、それに大倉源次郎先生や久田舜一郎先生などが脇鼓に来られていて、祖父と僕と、もう一人誰かと3人で、後見していたことが多かったかな。

 

関本:初めてお打ちになられた能は何ですか?

 

吉阪:〈岩船〉ですね。それは中学1年生の時やったかな。初舞台も遅かったですよ。小学校の4年生やったかな。10歳の時。すごく遅かったんです。

 

関本:鼓以外では?

 

吉阪:それまでには、謡と仕舞は習わされていました。小さい時から、3歳くらいからかな。

 

関本:子方で出るということはありましたか?

 

吉阪:当時は同年代のシテ方がたくさんいらっしゃったので、子方で出ることはなかったですけど、舞を習っていた先生の発表会で仕舞は舞っていました。鼓は祖父に習いました。鼓の初舞台は小学校4年生でしたが、鼓を持てる年齢まで、祖父は待ってたんやと思います。うちの子供なんかはもっと小さい時から始めさせました。

 

荒野:初めて子供のころに〈翁〉の脇鼓出られる前に、どれくらい前からお稽古を始めるのですか?

 

吉阪:倫平(ご子息)はどうやったかな。ちゃんとは覚えてませんけど、単純なパターンが5パターンくらいと、複雑なところが3、4か所あるのかな。単純なリズムの繰り返しなので、単純な5か所は、やっていればスッとできるようになる。で、複雑なところは一緒に打ちます。脇鼓と頭取がテレコになってるところがあるんです。同じフレーズを拍をずらして打っているんです。それを一緒に鼓を打って稽古をする。覚えるというよりも、反復して身体に入れる。謡を聞いて何かするというわけではないので、思考はあまり必要ないんです。条件反射ですね。頭取のパターンがこう変わったら、自分もこう変わるというのをひたすら繰り返してやっていく。でも、覚えるのは案外早かったです。謡のものを一曲仕上げるよりも、〈翁〉はあんだけ長いこと打ちますけれども、割とあっさりと覚えましたから。それでも本番まで半年以上は繰り返し稽古しました。

頭取が源次郎先生、怜士郎(大倉先生のご子息)さんと倫平の二人で脇鼓を打たせていただく機会があり、たまたま源次郎先生が京都に来られた時に、じゃあ3人で稽古しようということで、先生が稽古をつけてくださるということもありました。

 

吉阪氏の自宅稽古場に並ぶ小鼓

吉阪氏の自宅稽古場に並ぶ小鼓

 

3 〈翁〉での特別な体験

 

北脇:〈翁〉で特に印象的なところはどこでしょうか。

 

吉阪:あんまりしんどいばかり言ってますけれども、〈翁〉はセレモニー、儀式だと思います。〈翁〉の大きなテーマである平和への祈念、またその年を平穏に過ごせることを祈って、大夫(シテ)だけじゃなくて、小鼓を勤める自分もそういう気持ちで勤めています。〈翁〉は非常に面白い曲で、色んな場面に名前がついているんです。例えばシテが拍子を踏むところにそれぞれ名前がついている。そのネーミングが日本人の信仰による。天候に恵まれ豊作を祈ること、そして争いのないことを願うこと。天の神、地の神、海の神、山の神への感謝、自然への畏怖、生活の基本となることが〈翁〉の中には盛り込まれています。〈翁〉は現在でも世の中に対して大きな意味と役割をもっている芸能、これからもずっと大事に受け継いでいかなければならないと思います。

 

北脇:最初に子供の頃に習われた時には、大変だとか体力的にしんどいとかの思いがあったけれども、そこから段々知識と経験が深まっていく中で、〈翁〉に対する見方も変わってきたと。

 

吉阪:そうですね。子供の頃はそんなことを全然教えてもらわなくて、ともかく打つことしか習わなかったです。仮に子供の頃にそういうことを聞いたとしても、ピンとこなかったかもしれない。それは経験と、色んな人から聞いたり教えてもらったりすることで段々と培われていくものなのでしょう。〈翁〉の舞台で感じたことが、知識の裏付けになっていく。

 

関本:かなり大変な打つという行為をすることで見えてくるというか、感じるものというのはあるんですか?

 

吉阪:不思議な体験をお話しします。三番三は、揉出シというのがあって、揉ノ段というのがあって、最後に鈴ノ段。揉出シというのは、速いテンポで打ち続けるんです。これがしんどい!揉出シが終わると、揉ノ段。揉ノ段もしんどいんです。同じようなパターンを延々と繰り返していく。揉ノ段が終わってやっと一服できるんですよ。鈴渡しのところの掛け合いで一回鼓を置いて。ここが、〈翁〉の中で唯一休めるところ。どれくらいやろ、5分位かな。〈翁〉の前半は鼓をずっと持ったままですし。打たないときでもずっと膝に置いたままですから。ここが唯一鼓を下に置いて休めるところなんですけれども、すると汗がダラダラ、息が上がっている状態をなんとかこの間に整えます。そして鈴ノ段がはじまる。鈴ノ段はゆっくりなテンポから始まって、最後はかなり速くなっていくんですけれども、鈴ノ段は楽なんです。ずっと(パン、パンとゆっくりのリズムを手で取られる)このリズムなんです。「ツ、ポン、ツ、ポン、ツ、ポン」と。鈴ノ段まできたら、あとは段々速くなっていくだけやから、そんなにしんどくないんです。

ある時、鈴ノ段を勤めていて、鈴ノ段ってよくできていると思ったんです。最初本当にスローなテンポですね。(鈴ノ段の冒頭を実演される)「ポ、ヨぉー、ポ、ホぉー、ポ」。まだこれより遅いくらいです。(少し速いスピードで)「ヨぉー、ホ、ハ、ヨぉー、ホ、ハ」これくらいのテンポで続いていって、最後は(さらに速く)「ヨぉ、ホ、ハ、ヨぉ、ホ、ハ、ヨぉ、ホ、ハ」とこれだけテンポの差がある。見ているお客さんも単純なリズムが続いて徐々にテンポが上がると、自然に身体が動いて首を振り、そのリズムに乗ってくる。三番三もテンポを煽るように激しい拍子を踏みます。繰り返しの中で、しかも鈴を振っているでしょ。鼓と笛と鈴の音と舞とが大きなうねりとなって高揚感を生み出して、それがいわゆる神との交信といいますか、一種のトランス状態に陥ったことが一度だけあったんです。その時に、ああ、こういう展開が〈翁〉の後半の三番三の、その後半の鈴ノ段の最後の最後に、装置として組み込まれているように思いました。数多く勤めてきましたが、その一度だけです。本当に、思考が止まるんです。自分がどんどん高揚していくのが感じられて、ファっと光が差したように明るくなって神がその場に降りてきたような感覚。ちょっと口では表現しにくいですけれども。

それ以来、今まで嫌いやった三番三がちょっと好きになりました。(笑)

 

北脇:そうなんですか、へぇ。

 

吉阪:能で鼓を打っているときはお客さんの表情って殆ど見てない。見えてないんです。〈翁〉特に三番三に関しては、そういう高揚感を生み出す効果を実際に感じてからは、客席で何か首をこういう風に、身体が縦に動いているのが見えるようになりました。注意してそれを見るようになったからかもしれませんけど、そういう人が多いですね。そんなことないですか?

 

荒野:あると思います。

 

北脇:一種のトランスのような状態になった経験というのはいつ頃の舞台ですか?

 

吉阪:はっきりと覚えてへんのですけど、萬斎さんが三番叟をされた時なんです。源次郎先生が頭取で僕が脇鼓の時です。15年くらい前ですかね。

 

北脇:ある程度経験もお積みになった頃に。

 

吉阪:もちろん。うわぁって感じ。

 

関本:面白い経験ですね。

 

吉阪:楽しいと思いました、その時初めて。(笑)

 

 

続き>> 【出演者インタビュー】 吉阪一郎氏に聞く#2