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【出演者インタビュー】 金剛龍謹氏に聞く#1

金剛龍謹 (こんごう たつのり)

1988年、金剛流二十六世宗家金剛永謹の長男として京都に生まれる。幼少より、父・金剛永謹、祖父・二世金剛巌に師事。5歳で仕舞「猩々」にて初舞台。自らの芸の研鑽を第一に舞台を勤め、全国、海外での数多くの公演に出演。新作能や様々なジャンルとのコラボレーションなど既存の能の形にとらわれない新たな試みにも挑戦。また、大学での講義や部活動の指導、各地の小中学校での巡回公演に参加するなど若い世代への普及に努める。自身の演能会「龍門之会」主宰。 同志社大学文学部卒業。京都市立芸術大学非常勤講師。 公益財団法人 金剛能楽堂財団理事。 京都市芸術新人賞、京都府文化賞奨励賞 受賞。

金剛龍謹氏

金剛龍謹氏 ©関本彩子

 

1 金剛氏にとっての〈翁〉〈高砂〉

北脇:〈翁〉〈高砂〉は、お正月など晴れの場で上演されるおめでたい演目というイメージがありますが、金剛先生にとってそれぞれどのような演目か、教えていただけますか?

 

金剛:〈翁〉と〈高砂〉はやはり祝言で演じられるための演目ですよね。〈翁〉は能の演目の中で唯一「能にして能にあらず」といわれる演目で、劇というよりは儀式的な要素の強い演目です。天下泰平、五穀豊穣の祈りを込めて演じられます。また、これまでの能楽の歴史的な経緯もあり、能楽協会の式能のように流儀の宗家が演じるものという意識があります。ですので、正月に演じられる際には一年の最初にあたって今年も流儀の責任を持つ、という気持ちで〈翁〉を演じるところがあります。 金剛流の場合ですと、毎年お正月に平安神宮と八坂神社で一日と三日に奉納があります。一日の平安神宮では金剛流は〈神楽式〉というのをしていますね。〈神楽式〉は神式の〈翁〉として作られたもので構成には色々と相違点がありますが、テーマとされるところは変わりません。八坂神社では正月三日に〈翁〉を上演します。いずれも観世流と隔年で上演していますが、金剛流の能楽師として活動していると正月三が日は〈翁〉に出勤するのが当たり前になっています。

 

関本:今年の八坂神社では金剛流は〈高砂〉の仕舞をされていましたね。

 

金剛:八坂神社ではもう一番は曲が決まっているわけではなくて、〈翁〉と仕舞一番を観世流と交代でやっていますね。仕舞の演目もやはり祝言のものを選びますが、〈高砂〉は新春の季節感があふれる正月の奉能にふさわしい曲です。

 

北脇:〈翁〉についてお話しいただいたんですが、〈高砂〉の方はいかがでしょうか。

 

金剛:〈高砂〉は〈羽衣〉と並んで能の有名曲の双璧と言って過言ではないかと思います。よく祝言第一の能と言われることがあるかと思うんですけれども、まさしく脇能(神霊を題材とした能)の代表曲ですね。定番曲であり、脇能の中では上演頻度が一番多い演目かと思います。夫婦和合、それから和歌の徳を讃える、ということがテーマになっていますね。老夫婦の仲睦まじい姿を描くことで夫婦和合の素晴らしさを説き、また日本の文化の根底には和歌があると思いますが、和歌が栄えるということは即ち日本が栄えることであるというメッセージが語られています。

2〈翁〉〈高砂〉を演じる場

 

北脇:先ほどのお話では〈翁〉〈高砂〉ともにお正月に演じることが多いということでしたが、他にはどんな場で演じられることがあるか、お伺いしても良いでしょうか。

 

金剛:〈高砂〉はどこでも演じられますよね。上演頻度の高い能ですから、色々な公演で上演しています。近年ですと、演目のご当地である高砂神社でも〈高砂〉を舞わせていただきました。

 

北脇:〈翁〉についてはいかがでしょうか?

 

金剛:〈翁〉はシテ方だけでなく、三番三や千歳を演じる狂言方にとっても重要な演目ですね。近年では茂山千五郎さんのご子息である竜正さんや、野村又三郎さんのご子息、信朗さんの三番三のお披きのお相手を私が勤めさせていただきました。披きというのは、能役者の修行のなかで節目となる演目を、年齢的、技術的にふさわしい時期になった際に演じることです。

 

北脇:場所に関しましては、〈翁〉は神社で演じられることも多いかと思うんですけども、特別な場合にはホールなどでも演じられることはありますか?

 

金剛:そうですね、ホールで演能するときもあります。近年金剛流ではホールでの〈翁〉の公演はあまりなかったかなと思うんですけども、能の前に行われる鏡の間の式がありますから能舞台の方が都合が良いです。鏡の間に祭壇を組み翁飾りを祀って、その前で御盃事を舞台直前にいたします。ホールなどで演じる場合、また海外公演など遠方での公演の際にも、鏡の間の式は必ず行っていますね。

 

北脇:海外でもされているんですね。

 

金剛:金剛流ではなく宝生流でしたが、イタリアに合同公演で行ったときも宝生流のご宗家が〈翁〉をされて、やはり楽屋内で御盃事をしました。

 

北脇:本番前の精進潔斎や御盃事については、月刊『淡交』の2021年の記事でもお話しされていました。公演一週間前に別火を行って肉類の摂取を避け、本番直前に鏡の間で出演者全員で塩とお神酒で身体を清め、洗米を食べて火打ちをされているということですが、このような精進潔斎を行うことで、通常の演目に比べ、何か意識の上での変化はやはりありますか?

 

金剛:それはありますね。舞台に先立って定められた作法に基づき特別な儀式を行っているわけですけども、それはやはり公演に向けて役者の心身を清浄にし舞台への意識を深めることで、〈翁〉という演目の持つ神性を高めていくことにつながっていますよね。儀礼的な意味合いだけにはとどまっていないと思います。

 

北脇:通常の演目でも、上演に向けての役作りや心の準備はされていかれると思うんですけども。

 

金剛:そうですね、より具体的ですよね。鏡の間で集中力を高め役の内面に深く入り込んでいく作業にとどまらず、より具体的で形を伴った準備ですよね。

 

北脇:このような精進潔斎や御盃事を行うには能楽堂が適しているということですが、今回は久しぶりのホールでの〈翁〉の公演になります。

 

金剛:はい。そういうこけら落としの舞台に最もふさわしい演目ですね。あとこけら落としと言えば、移徒(わたまし)の神舞ですよね。高砂の神舞が盤渉調(ばんしきちょう)に変わりますけども、盤渉というのは水を意味する調子ですから、火災を退ける願いを込めて、移徒の神舞を能舞台やホールのこけら落としで演じます。

 

関本:その舞台が無事に発展していくように。

 

金剛:そうですね。この二曲というのは、そういう祈りをこめた演目ですね。

 

北脇:〈翁〉〈高砂〉は毎年何回ぐらい演じられていますか?

 

金剛:〈翁〉については、翁か神楽式をお正月に平安神宮か八坂神社のどちらかでは必ず行っていますし、あとは能楽協会が主宰している式能の公演が毎年二月にございますけども、五流で〈翁〉をまわり持ちします。五番立ての公演で、翁付き脇能から始まって、五番立てを五流で割るわけですけど、五年に一回それぞれの流儀にまわってきます。そうした催し以外でも、よく上演される二曲です。

3 〈翁〉〈高砂〉で使用する能面について

北脇:ここからは能面についてお伺いしたいと思います。まずは〈翁〉〈高砂〉で使用される面としては、〈翁〉が翁面で、〈高砂〉は前シテが小尉、後シテは邯鄲男でしょうか。

 

金剛:翁面というのは、〈翁〉の演目のみに用いられる白式尉、父尉、黒式尉、延命冠者の四面を総称したものですね。現在の通常の演出の〈翁〉では白式尉、黒式尉の二面しか用いられません。造形は、切り顎といって顎の部分を分離して紐でつないであることや、ボンボン眉と呼ばれる眉毛など、翁面にしか見られない作りが特徴ですね。能楽成立以前の鎌倉期の作品も多く、歴史的にもっとも古くに造形が完成した能面の種類です。 前場に登場する老夫婦のお爺さんには小尉、ツレのお婆さんは姥。後場は邯鄲男が多いですね。後シテの住吉明神には、神体または三日月を使うこともあります。歴史的に見れば、〈高砂〉に邯鄲男が用いられるようになったのは後のことです。邯鄲男というのは〈邯鄲〉という曲の専用面ですから、いつの頃からかそれを転用しているわけですね。

 

北脇:邯鄲男と神体、三日月の特徴をそれぞれ教えていただけますか?

 

金剛:邯鄲男は童子や喝食より少し上の年齢の男性面です。中年まではいかない、壮年の男性面ですね。神体、三日月はともに男神を演じるための面です。邯鄲男と異なる特徴としてはまず目に金環が入っています。

 

関本:目に金が入っている時点で人間じゃなくて妖怪というか。この世のものではない、ということが表現されているということですよね。

 

金剛:そのとおりです。いずれも邯鄲男より力強い表情をしています。ただ神体には造形が2系統あり、上品な表情をしたものと、怒りを湛えたものが見られます。室町期の作と思しき古作のものも数多くあります。

 

北脇:どの面を本番で使用されるかというのは、いつも大分前から決められていますか?

 

金剛:今回の能はこの面だと自然に決まることもありますし、どの面を用いるかとても悩む舞台もありますね。

 

北脇:金剛流でお持ちの面で、同じ面種の面というのはどのぐらいあるんでしょうか。

 

金剛:面の種類によって違うんですよ。流儀の所有面では、この種類の面はこの一面しかありません、というものもありますが、たいていの面は複数のものから公演に応じて選んでおります。たとえば〈高砂〉前シテの小尉は流儀の所蔵面が四面ございますのでその中から選びますが、父が能を演じる場合はだいたい小牛作の小尉ですね。現存する小尉のなかでもたいへん優れた作です。

 

北脇:邯鄲男の方も大体決まっている。

 

金剛:ひょっとしたら神体か三日月を使うかもしれません。私は〈高砂〉ではこの二面を用いる方が好みなんです。やっぱり邯鄲男は、本来は生きた男性の能面ですから。今は邯鄲男が定番になっていますが、住吉明神の力強さを表すために神体、三日月で演じた方がふさわしいのではないかなと私は思っています。研究によると、〈高砂〉の住吉明神は古くは老神として演じられていたとも言われていますね。その際は、石王尉や舞尉など老翁の神をあらわす面が用いられるのでしょうか。

 

関本:どういう面で舞われるかで、全然空気感変わりますよね。歌詞は同じなのに。

 

金剛:そうです。同じ言葉でも謡い方を変えるだけで、「我見ても久しくなりぬ……」(さらっと謡われる)と謡うか、「我見ても久しくなりぬ……」(一音一音しっかり謡われる)という謡になるかで、まったく別の曲みたいになります。

 

関本:違いますね。ちょっとスピードを変えただけのようにも聞こえるんですけど、でも全然空気が変わってくる。若者がやってきてさらっと話をしている、みたいな感じと、「うわあ、出てきたー!」みたいな感じと。客としては色んなものを見て、その雰囲気を読み取ると面白いですよね。同じものをやっているのに、違う人が出てくる。

 

金剛:扮装を変えることは能の小書(特殊演出)でよくあります。たとえば〈海人〉の能は通常は女性の霊が龍に転じた龍女を演じますが、金剛流に伝わる変成男子の小書がつきますと老体の龍神になります。悪尉面をかけて白頭で、どっしりとした貫禄のある龍神です。全然役柄の種類がまったく変わりますね。そういう演出は他の曲でもいくつかあります。

 

北脇:こういう違いを見ていくのが能の醍醐味ですよね。 関本:能楽師さん自体も面を変えることで、同じ曲を違うものとして演じておられますよね。ずっとお稽古してきたものであっても、変えても良いというのはすごく面白いです。 北脇:本番どの面が使われるか楽しみにしています。 関本:どんなふうに空気感を作っていらっしゃるかが面白いなと。 北脇:金剛家では初面(能楽師が初めて面をかけて能を演じること)で使用する面が翁面だと聞いたんですけども、龍謹先生もそうですか?

 

金剛:そうです。私も初面は十五歳のときに〈翁〉でさせてもらいました。そんなに一般的なことではないですね。金剛家の特徴です。

 

北脇:初めての面が翁面だったということで、そのとき覚えてらっしゃることとか、何かそのときのエピソードはありますか?

 

金剛:そのことに関しては、当時はよく分かっていなかったですね(笑)翁で初面をするのが変わっている、ということが分かっていなかったので。今後の能は能面をかけて演じるのだということは分かっていましたけど。

 

関本:〈翁〉は「能にして能にあらず」という演目ですもんね。人によっては能ではないと仰るような演目だから。

 

金剛:舞台上で面をかける唯一の演目ですからね。そういった儀式的な形で初面をさせてもらえた、というのはいま思うとたいへん晴れがましい経験です。

 

関本:舞台の中で自分が変わっていくというか、面をつける経験ができる。

 

金剛:最初は人として現れて、舞台上で神になりかわる瞬間をご覧いただく、という特殊性を持った演目ですね。

 

関本:ここからこの世界でやっていきますよと。元服の瞬間を見せていただく、という感じになりますよね。それは他の金剛流の方もされていますか?

 

金剛:いえ、うちの家の人間だけですね。流儀の能楽師は〈翁〉以外の一般的な演目で初面をしていますね。

 

関本:じゃあ〈翁〉の初面を見る機会もなかなかないですね。宗家の家でしか見られない。

 

金剛:そうですね。うちの家ではそうさせてもらっているので、今後もそういう形でやっていけたら良いなと思っています。代々の家の慣例として、私の息子の場合でもそういった機会を持てればと思います。



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