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【エッセイ】薩摩琵琶と祝言

曽村みずき(京都市立芸術大学共同研究員)

 

鹿児島で生まれた薩摩琵琶は、明治期に入り東京へ進出すると、明治後期から昭和初期にかけて全国的に流行した。薩摩琵琶の現行のレパートリーは、明治期に新作されたものが中心で、歴史的な出来事を題材とし、勇壮な合戦や悲哀のある別れの場面を描いた楽曲が多い。

一方、島津正によれば、江戸期に薩摩藩内で伝承された「古薩摩琵琶歌」には、「世の太平を謳歌する」ものとして「賀の歌」というジャンルがあり、《松囃(新玉)》《蓬莱山》《春日野》《千代の春(斯る目出度)》《玉椿》《神恩》《春の調》といった楽曲が伝わったという。ここでは、《春の調》について取り上げてみたい。

《春の調》は、新春をことほぎ、君国を祝う内容の琵琶歌である。明治の世の太平を祝う歌とする説もあるが、成立年代などの詳細は不明である。島津久基によれば、「春の調」は本曲の詞章にもある「松囃」を指すという。「松囃子」(松拍子、松囃などとも)とは、新春に行われる松を囃す祝言の芸として、南北朝期・室町初期に流行した中世芸能である。しかし江戸期には、徳川幕府では年中行事として毎年正月3日(当初は2日)に謡初式が行われ、これを「松囃子」と呼び慣わすようになった。この謡初式は、《高砂》の一節〈四海波〉の小謡を謡ったあとに、《老松》《東北》《高砂》の3番の囃子があり、《弓矢立合》を舞う、という構成である。島津久基は《春の調》の詞章について、謡初式の内容にふれながら、「此琵琶歌も全篇殆どその三番[《老松》《東北》《高砂》、引用者注]の文句」からできていると解説している。

それでは実際に《春の調》の詞章をみてみよう。以下に、島津正『江戸以前 薩摩琵琶歌』より詞章を引用する(一部読点を追加した)。

新玉の、年の始の寿や、昔変わらず吹きあぐる、笛と鼓の音までも、春の調に聞こえつつ。玉だれゆらぐ風立ちて、舞の袂も長閑なり、神の斎垣の老松も、枝を連ね葉を重ね、うべも太夫の影高く、齢を君に譲る葉の、常磐の色ぞ類なき。軒端に咲ける梅が枝も、和泉式部の縁りとや、床しく香る窓の内、文見る袖にうつり来る、好文木の名に恥じず、又高砂住の江の、松に相生の尉と姥、妹背の契り末長く、千代のためしにひかれつつ、四方の海原浪なぎて、吹くも静けき時津風。枝も鳴らさぬ御代の春、千秋楽には民を撫で、萬歳楽には命を延ぶる楽しみも、年毎の今日酌み交す盃に、君と御国を祝ふなる、松囃こそ目出度けれ。

詳しくみてみると、「神の斎垣の老松も〜うべも太夫の影高く」の部分は能《老松》の詞章を少し変えながら用いている。「軒端に咲ける梅が枝も、和泉式部の縁りとや」は能《東北》の内容からとっている。「好文木の名に恥じず」は《老松》《東北》ともに関連の句がある。「又高砂住の江の〜萬歳楽には命を延ぶる楽しみも」は能《高砂》の内容を引いている。前述の島津久基の指摘どおり、たしかに《春の調》の詞章には謡初式で行われる3番が、さらに順番通りに配されている。

次に、作詞者へ視点を移してみたい。《春の調》の詞章は、島津久光(1817〜1887)による作と伝わる。島津斉彬の異母弟である久光は、幕末の薩摩藩主・島津忠義の父で、「国父」として忠義の後見役を務め、藩政の実権を握った。久光旧蔵文書が納められる鹿児島大学附属図書館の「玉里文庫」には、多数の能楽関係の写本・刊本が含まれることから、久光は能楽のたしなみがあったといわれる。

とくに、そのうちの『宝生流謡本』には、久光が稽古した回数と思われる朱線が記され、前述の謡初式の3曲では、《老松》に1本、《東北》に1本、《高砂》に2本が確認できる。久光が徳川幕府の謡初式に参列した記録は管見の限りないが、能楽への関心が強かったのであれば、久光が謡初式の内容を知っていた可能性は高い。《春の調》の成立の経緯は明らかでないが、久光がこれらの謡を実際に学んだうえで、徳川幕府での謡初式をオマージュして作詞したのではないかと想像する。《松囃》や《春日野》など、薩摩琵琶のそのほかの祝言曲にも、謡曲を参照したものがある。祝言というテーマをきっかけとして、能楽と薩摩琵琶との関係を紐解いてみたい。

参考文献・資料
  • 池内信嘉『能楽盛衰記 上巻 江戸の能』、東京:能楽会、1925年。
  • 上田景二『釈定 薩摩琵琶歌 前集』、東京:鳳鳴会・得水庵、1910年。
  • 吉川周平「菊池の松囃子について」『民俗芸能』第55号、1975年、19〜28頁。
  • 越山正三『薩摩琵琶』、東京:ぺりかん社、1983年。
  • 島津正『江戸以前 薩摩琵琶歌』、東京:ぺりかん社、2000年。
  • 島津久基註『註解 薩摩琵琶歌』、鹿児島:島津久基、1913年。
  • 萩原秋彦編『注解 薩摩琵琶歌集』、鹿児島:龍洋会、1965年。
  • 林和利「第Ⅰ部 薩摩藩の能楽」『能・狂言における伝承のすがた』、愛知:風媒社、2019年、11〜49頁。
  • 宝生大夫校正『宝生流謡本 1冊』寛政11年刊(玉里文庫・天の部35番493)
  • 宝生大夫校正『宝生流謡本 5冊』寛政11年刊(玉里文庫・天の部35番493)

上田景二『釈定 薩摩琵琶歌 前集』上田景二『釈定 薩摩琵琶歌 前集』(国立国会図書館デジタルコレクション)


曽村みずき

京都市立芸術大学共同研究員(日本学術振興会特別研究員PD)、東京藝術大学ほか非常勤講師。薩摩琵琶を中心とした近代琵琶楽の研究に取り組む。論文に「第二次世界大戦前後における薩摩琵琶の変動―演奏会・ラジオ・レコード調査と音楽分析を通してー」(東京藝術大学大学院博士論文、2022年)など。